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『円覚寺洪鐘祭絵巻』は、山ノ内下町の栗田要造(17歳)が1901年(明治34年)4月1日から3日に開催された洪鐘祭の行列を描いたもの。 洪鐘祭の翌年の3月に完成した。 『円覚寺洪鐘祭絵巻』は、毎年11月に催される円覚寺の宝物風入の時にに展示されていたが・・・ ここ数年は、かなり縮小しての開催となっているので、展示されるかどうか・・・ |
※ | 「円覚寺洪鐘祭絵巻」の画像は『円覚寺弁才天洪鐘祭附祭絵巻研究成果報告書』より。 |
2023年10月29日(日)60年に一度の円覚寺弁財天の祭礼「洪鐘祭」が行われました。 |
洪鐘祭は、九代執権北条貞時が江の島の弁財天を円覚寺に勧請したことに始まる祭礼。 |
八雲神社の面掛行列は、江戸時代以来、例大祭で行われてきたが、1965年(昭和40年)の洪鐘祭を最後に絶えたのだという。 面は坂ノ下の御霊神社の面掛行列の面を模したものだったらしい。 御霊神社の面掛行列は、鶴岡八幡宮の祭礼行列の面掛行列に倣ったものと伝えられている。 |
面掛行列の面は八雲神社に伝えられている。 |
令和の洪鐘祭では八雲神社の面掛行列も参加。 |
7月に行われる例大祭(神幸祭)は、八雲神社と山崎八雲神社(北野神社)の神輿と合流する行合祭。 |
実は巻末が祭礼行列の先頭らしい。 |
円覚寺の国宝「洪鐘」は、九代執権北条貞時が七日七夜江の島弁財天に参籠して鋳造が成功したというもの。 絵巻に描かれているのは張子の洪鐘。 |
円覚寺は、八代執権北条時宗が宋の禅僧無学祖元を招いて開かれた。 |
円覚寺の国宝「洪鐘」は、九代執権北条貞時が七日七夜江の島弁財天に参籠して鋳造が成功したというもの。 |
江の島は神仏混淆の霊地として信仰を集めた島。 源頼朝は文覚にに命じて江の島に弁財天を勧請し、奥州平泉の藤原秀衡調伏の祈祷を行った。 |
江島神社は、奥津宮・中津宮・辺津宮からなる神社で、江戸時代までは江の島弁財天と呼ばれた。 辺津宮は源実朝が鶴岡八幡宮の供僧・良真に命じて創建。 |
江島神社の辺津宮にある奉安殿には、 女性の象徴をすべて兼ね備えているといわれる「裸弁財天(妙音弁財天)」と、 源頼朝が文覚に命じて勧請したとも伝わる「八臂弁財天像」 が安置されている。 |
洪鐘祭は60年に一度開催される円覚寺弁財天の祭礼。 |
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