|
龍ノ口刑場は、鎌倉時代から室町時代の刑場で、龍口寺内に石碑が建てられている。 1271年(文永8年)9月12日、松葉ヶ谷で捕らえられた日蓮の伝説が残されている場所として知られている(龍ノ口法難)。 しかし、実際に、この刑場がどこにあったのかは不明。 1180年(治承4年)、源頼朝に敵対した大庭景親が処刑されたのが「固瀬河辺」と呼ばれる所で、日蓮の場合は「龍口之海辺」と記録されている。 また、元国使の杜世中(参考:常立寺)や北条時行の処刑(参考:中先代の乱)は「龍口」で行われたと記録されているようだが、これらの場所が同一なのか別なのかははっきりとしない。 |
1180年(治承4年)10月26日 大庭景親の処刑 |
石橋山の戦いで源頼朝に敵対した大庭景親が処刑された(参考:大庭氏)。 |
1181年(養和元年)7月21日 左中太常澄の処刑 |
鶴岡八幡宮の上棟式で源頼朝の命を狙った左中太常澄が処刑された。 |
1275年(建治元年)9月7日 元国使の処刑 |
北条時宗は、元の国使杜世忠ら5人を処刑した。 常立寺に供養塔がある(参考:元使塚)。 |
1353年(正平8年)5月20日 北条得宗家の滅亡 |
中先代の乱を起こした北条高時の遺児時行が処刑される。 |
北条得宗家の滅亡〜最後の得宗北条時行〜(okadoのブログ) |
伝説によると・・・ 文覚が龍口明神に法要を行ったところ、国に背く悪人が出たときは「悪人の首を斬り社頭にかかげよ」という神託があったのだという。 以後、龍ノ口が処刑場となったのだとか。 |
※ | 鎌倉津の鎮守・龍口明神社は、もともとは龍ノ口刑場の横にあった。 |
※ | 神託を受けたのは泰澄だという説も(参考:宝善院) |
1271年(文永8年)9月12日、平頼綱(北条時宗の執事)によって捕らえられた日蓮は、処刑されるため龍ノ口の刑場に護送された。 しかし、その時に怪異現象が起こった。 『日蓮上人註画讃』は、このときの刑場の様子を「江ノ島のたつみより、大なるひかりもの、かたち満月のごとくして、いぬいにとび、御くびはねんとする座のうへへとびきたること、鷹隼のかけるがごとし。うしろの山の松にうつるかと見れば、雲霞すなはちたちて、闇の夜となる」と説明している。 この出来事によって、北条時宗は日蓮の処刑を中止したと伝えられている。 |
刑場での不思議な現象で、直ちに幕府に知らせる使者が発せられた。 一方幕府でも日蓮の処刑の中止を伝える使者が発せられた。 両方の使者が行き合った場所が、七里ヶ浜に注ぐ行合川であったと伝えられている。 |
龍口寺や鎌倉大町の常栄寺には、龍ノ口に護送される日蓮に「桟敷の尼が胡麻入りのぼた餅を捧げ、奇跡的に処刑を免れることができた」という伝説が残され、9月12日には「龍口法難会」が行われている。 |
常栄寺 (桟敷の尼の墓) |
ぼたもち供養 (常栄寺) |
龍口法難会 (妙本寺) |
龍口法難会 (龍口寺) |
日蓮は、龍ノ口に向かう途中、袈裟を血で汚すのはおそれ多いといって、松の枝に袈裟を掛けたと伝えられている。 |
この題目は、日蓮の六老僧のひとり日昭が開いた伊豆の妙法華寺の大曼陀羅から抜き移したもの。 |
龍口寺は、日蓮の霊跡(龍ノ口刑場跡)に建てられた寺。 明治19年まで住職がおらず、近隣の八つの寺が順番に霊場を守ってきた(龍口寺輪番八ヶ寺)。 門前には江ノ電が走る。 |
藤沢市片瀬3−13−37 江ノ電「江ノ島駅」より徒歩3分 湘南モノレール「湘南江ノ島駅」より徒歩3分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|