鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉伝説集その2

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☆朝比奈三郎義秀☆

 朝比奈三郎義秀は、鎌倉幕府初代侍所別当和田義盛の第三子で、生母は木曽義仲の妾巴御前であると伝えられている(参考:善栄寺(小田原))。

 義秀は大力武勇の猛者で一夜にして朝比奈峠を切り開いたといわれた。

 ある日、笠懸の後、将軍源頼家から、「泳いでみよ」と言われ、断るわけにもいかず海に入り、鮫を3匹捕まえてきたという(参考:小坪路)。

 和田合戦においても幾人かの敵をたおし、微傷すら負わなかったという。

 しかし、和田義盛が敗れるとどこかに姿を隠した。安房に渡ったとか朝鮮に逃れたという説もある。


朝夷奈切通
リンクボタン朝夷奈切通
瑜伽洞
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☆梶原太刀洗水☆

 朝夷奈切通の岩肌から湧き出る鎌倉五名水の一つ。

 梶原景時上総介広常を討ったあと、この水で太刀の血を洗い流したという。


梶原太刀洗水
リンクボタン梶原太刀洗水



☆身代わり阿弥陀☆

 源頼朝に仕えていた女が、運慶に阿弥陀仏を彫るよう依頼した。

 女は出来上がった阿弥陀仏をほんの数日間拝んだだけで飽きてしまったという。

 しかし、女に仕えていたお坊さん(万才法師)は、毎日拝んでいた。

 ある日、女の家の物がなくなったことから、法師が盗んだとして、女は法師の頬に焼印を押すよう命じたが、焼印はつかなかった。

 数日後、女の夢の中へ阿弥陀仏が現れ、「何故私の頬に焼印を押すのだ」といった。光触寺の阿弥陀仏には、頬に焼印がある。


頬焼阿弥陀
リンクボタン頬焼阿弥陀



☆塩を嘗めたお地蔵さん☆

 朝比奈峠を越えてやってきた塩売りが、お地蔵さんに塩を供えておいたところ、帰りには塩がなくなっていた。

 お地蔵さんが嘗めたという言い伝えがある。

 鎌倉二十四地蔵光触寺の地蔵堂に置かれている。


塩嘗地蔵
リンクボタン塩嘗地蔵 



☆けがなし石☆

 明王院手前の「二ツ橋」の下にある2つの石は、橋から落ちても怪我をしないので「けがなし石」と呼ばれている。

 この石は、五大堂(明王院)に使われていた礎石の一部だったという。


明王院
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☆鎌倉の地名の由来☆

 大化の改新で活躍した藤原鎌足が、鹿島神宮に参詣する際、鎌倉に立ち寄った。

 その時に夢に現れた老人から「鎌槍をこの地に埋めれば、天下はよく治まる」といわれ、白狐に案内されるまま浄妙寺の裏山に鎌槍を埋めたという。

 この「鎌槍」から「鎌倉」という地名が生まれたという説がある。

 この伝説は、鶴岡八幡宮の大臣山にも残されている。

※ 藤原鎌足の伝承は、持っていた鎌(鎌槍)を大蔵の松ヶ岡に埋めたというところから起こっているが、松ヶ岡が何処なのかは不明。


浄妙寺鎌足稲荷
リンクボタン鎌足稲荷



☆宅間猫☆

 年老いた大猫が宅間ヶ谷に住みつき、里へ出ては子どもを取って食べるので、報国寺の当時の住職が山に向って一喝したら、熊のような大きな猫が崖の下で死んでいた。


報国寺竹の庭
リンクボタン報国寺







☆衣張山☆

 衣張山は、大倉幕府の南東にある。

 源頼朝は、暑い夏のある日、この山を白い絹で覆わせ、雪山に見せることによって涼を楽しんだらしい。

 頼朝ではなく、北条政子が父の北条時政に頼んで白絹を覆わせたという話もある。 


衣張山
リンクボタン衣張山



☆唐糸草子☆

 源頼朝の従兄弟である木曽義仲は、頼朝を暗殺しようと琵琶と琴の名手である唐糸(義仲の家臣手塚太郎光盛の娘)を鎌倉へ送り込んだ。

 しかし、唐糸は、頼朝にその企てを覚られ、釈迦堂近くの「やぐら」に幽閉されてしまう。

 それを救ったのが娘の万寿姫で、姫は頼朝に仕えると鶴岡八幡宮に奉納する舞の舞姫に選ばれ、その舞が頼朝に気に入られた。

 頼朝の「何でも望みのものをやる」との言葉に、「母親を助けてほしい」と頼んだそうである。

 頼朝は驚いたが、その願いを聞き入れたという。


唐糸やぐら
リンクボタン唐糸やぐら



☆逃げた観音さま☆

 ある日、杉本寺の本堂が火事により焼失した。

 しかし、観音さまは自力で大杉のもとに避難したと伝えられる。

 これにより「杉の本の観音」と呼ばれるようになった。


☆下馬観音と覆面観音☆

 杉本寺の観音さま(行基作)は、寺の前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬するので「下馬観音」と呼ばれ、大覚禅師(蘭渓道隆)が祈願して収まったが、その際に、袈裟で観音さまを覆ったことから「覆面観音」とも呼ばれた。


杉本寺
リンクボタン杉本寺



☆身代地蔵☆

 杉本寺本堂脇の五輪塔群の中にお地蔵さんがいる。

 このお地蔵さんは、三浦氏の内部争いの際、杉本太郎義宗に放たれた矢を受け、傷跡から血がにじみ出てきたという伝説がある。


杉本寺身代わり地蔵
リンクボタン身代地蔵 



☆目に魚の鱗をはめ込んだ男☆

 永福寺建設の様子を見に出かけた源頼朝は、働いている人夫の中に片目を失った男をみた。

 捕えさせて調べると、ふところに刀をしのばせ、失明したような左の眼には魚の鱗をはめ込み盲目を装っていた。

 上総五郎兵尉忠光と名乗り、頼朝の命を狙っていたことを白状したため処刑された。

 忠光は平悪七兵衛景清の兄。

 平姓で呼ばれているが、藤原秀郷の子孫。景清も頼朝の命を狙い、仮粧坂の牢に閉じ込められたという伝説がある。


永福寺跡
リンクボタン永福寺跡


リンクボタン頼朝暗殺を企てた平景清の伝説



☆どこも苦地蔵☆

 お地蔵さまにお供えをしていた貧しい僧が、ある日、苦しさのあまりどこかへ移り住んでしまった。

 すると、夢の中に地蔵が現れ、「どこも同じじゃ〜、どこも苦しいのは同じじゃ〜」といったそうな。

 もとは扇ヶ谷にいたお地蔵さんらしいが今は瑞泉寺の地蔵堂に安置されている。鎌倉二十四地蔵の一つ(参考:どこも苦地蔵堂 「智岸寺」と「どこも苦地蔵」(英勝寺))。


どこも苦地蔵堂
リンクボタンどこも苦地蔵



☆むじな塚☆

 瑞泉寺に留守番のおじいさんとおばあさんが住んでいた。

 瑞泉寺の下にも寺があって、そこにもおじいさんが住んでいた。そのおじいさんは、しばしば瑞泉寺にやってきてご馳走になっていた。

 ある日、下の寺のおじいさんが瑞泉寺のおじいさんのところにやってきたので、家の中に入れて火にあたらせてあげると、下の寺のおじいさんは、つい居眠りをして化けの皮を脱いでしまい、「むじな」になってしまった。

 瑞泉寺のおじいさんは、おどろいてむじなを殺してしまった。

 おじいさんに化けてご馳走になっていた悪いむじなであるが、可哀想であるので寺の前にお墓をつくってあげたそうだ。


瑞泉寺むじな塚
リンクボタンむじな塚






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