鎌倉手帳(寺社散策)

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大慈寺跡

編集:yoritomo-japan.com







大慈寺跡


 大慈寺は、1212年(建暦2年)、三代将軍源実朝が父源頼朝への感謝のために創建を開始した寺院。

 勝長寿院の「大御堂」に対して「新御堂」とも呼ばれていた。

 1214年(建保2年)7月27日には、栄西が呼ばれ、北条政子も参列する大法要が催された。

 栄西は、実朝政子が帰依した高僧で、我が国臨済宗の開祖。

 1214年(建保2年)2月4日、二日酔いの実朝に茶を勧め、『喫茶養生記』を献上している。

 1216年(建保4年)、実朝は宋の能仁寺から仏舎利(釈迦の歯)を請来。

 仏舎利は、勝長寿院に安置された後、大慈寺に納められていたというが、1285年(弘安8年)、北条貞時によって円覚寺に移され、現在は、正続院舎利殿に納められている。





大慈寺縁起
(『吾妻鏡』)

 1212年(建暦2年)4月18日から建立が始まった大慈寺。

 10月11日、源実朝が建立地の大倉郷へと出かけたときのこと。

 供をしていた三善康信(善信)が実朝に霊夢の話をした。

 1198年(建久9年)の12月頃に見た夢のことです。

 頼朝様の供をして大倉山あたりに行きました。

 そこに一人の老人がおりました。

 その老人が言うには、 「この地は、清和天皇の時代に相摸丞となった文屋康秀(ふんや の やすひで)が住んでいた所。

 ここに寺を建てなさい。

 私が鎮守となりましょう」

 夢から覚めた私は、すぐに頼朝様に報告しました。

 その時、頼朝様は病気療養中でしたが、「もし治ったら寺を建てる」とおっしゃられました。

 しかし、その希望は叶うことなく翌年正月に亡くなられてしまい、残念に思っておりましたが、実朝さまが自ら願われて建立されますことは、やはり霊感なのでしょうか。



大慈寺跡


 大慈寺は、七堂伽藍を有する壮大な寺院だった。

 明王院の東側一帯が全て大慈寺の境内だったと考えられている。

 1257年(正嘉元年)には、大修繕が行われ、本堂、丈六堂、新阿弥陀堂、三重塔、鐘楼等が修理され、そのときの供養の様子が『吾妻鏡』に記されている。

 江戸時代まで丈六堂が存在していたが廃絶となり、堂に安置されていた阿弥陀仏の頭が光触寺に伝えられている。

 金沢街道沿いの墓塔群を丈六堂の跡地と考える説もあるが定かではない(横浜市金沢区の龍華寺が管理する墓地)。



金槐和歌集
リンクボタン金槐和歌集

 『金槐和歌集』は、源実朝自撰のもので、『鎌倉右大臣家集』とも呼ばれ、藤原定家から「万葉集」が贈られた1213年(建保元年)頃に成立したものと考えられている。



円覚寺舎利殿
リンクボタン舎利殿
(円覚寺)
鶴岡八幡宮のビャクシン
リンクボタンビャクシン
(鶴岡八幡宮)

源実朝公御首塚
リンクボタン源実朝公御首塚
(秦野市)
源実朝五輪塔
リンクボタン壽福寺の五輪塔







大慈寺跡碑

鎌倉市十二所67付近



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金沢街道沿い

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