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『吾妻鏡』によると・・・ 北条政子は日向薬師に二度参詣している。 いずれも8日の薬師如来の縁日。 一度目は1210年(承元4年)6月8日。 北条時房・源親広(大江広元の子)などが供をし、その日の夜には鎌倉に戻ってる。 二度目は1211年(建暦元年)7月8日で、源実朝の妻・坊門姫も同行。 供は、北条時房・源親広・小山朝政・結城朝光・三浦義村・葛西清重・安達景盛・佐貫広綱・佐原兵衛尉・和田義直の十人。 それぞれに家来数十騎が並んでいたのだという。 翌日、灯りを灯す頃になって鎌倉に帰ってきたのだとか。 政子は、1197年(建久8年)に長女の大姫、1199年(建久10年)に夫の源頼朝と次女の三幡、1204年(元久元年)に長男の源頼家を亡くしている。 政子の子は4人。 しかし、残された次男の源実朝は、1208年(承元2年)に疱瘡を患って精神的に落ち込み、鶴岡八幡宮の参拝もできない状態だったといわれている。 二度の参詣は、人々を病苦から救ってくれる薬師如来に実朝の病気平癒を祈願するためだったのかもしれない。 二度目の参詣で坊門姫を同行させたのもそのためかと。 |
二度目の参詣後の11月16日、政子は鶴岡八幡宮の神宮寺に金銅の薬師如来を安置。 この像は、実朝の病気平癒を願って造立されたものと考えられている。 翌年には、実朝が鶴岡八幡宮参拝を再開。 |
日陰道は、頼朝や政子が歩いたという日向薬師の参道。 |
毎年10月に行われる伊勢原市の道灌まつりでは、「北条政子日向薬師参詣行列」も。 |
日向薬師は、716年(霊亀2年)に行基によって開かれた霊山寺をはじまりとする。 鎌倉時代には源頼朝も参詣した。 |
伊勢原市日向1644 0463−95−1416 小田急線「伊勢原駅」より『バス』日向薬師行き終点下車すぐに参道あり |
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