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太田道灌は、扇谷上杉家に仕えた戦国武将。 |
太田道灌と山吹 |
ある時、太田道灌は鷹狩りに出掛けました。 雨に降られたので、農家に立ち寄って蓑を借りようとしたところ、少女に山吹の花を差し出されたそうです。 怒った道灌はそのまま雨の中を帰ったのだといいます。 その夜、家臣にそのことを話すと、兼明親王の古歌に山吹を詠んだものがあることを聞かされます。 その時はじめて、少女の差し出した山吹が 「貧しくてお貸しする蓑もない」 という意味であったことを知りました。 教養のなさを恥じた道灌は、その後学問に励んだのだそうです。 七重八重 花は咲けども 山吹の み(実)のひとつだに なきぞかなしき この歌は、後醍醐天皇の第十六皇子兼明親王が詠んだもの。 雨が降った日に来客があって、帰りがけに「蓑を借りたい」といわれたので、山吹の枝を持たせると、客は訳が分からず帰っていきました。 後日、山吹の意味を問われたのでこの歌を贈ったのだとか。 歌の意味は・・・ 「山吹の花は八重七重に咲くのに実が結ばない」 ということですが、裏を返すと 「お貸しする蓑一つなくて申し訳ない」 ということなのだそうです。 |
鎌倉の英勝寺は、太田道灌の旧跡に建てられた寺。 境内には道灌の故事に因んで山吹が植えられています。 |
江戸城や河越城を築いたことで知られる太田道灌。 扇谷上杉家の隆盛に貢献したが、1486年(文明18年)7月26日、その才能を恐れた主君上杉定正によって糟屋館で謀殺された。 洞昌院で荼毘に付されたのだという。 |
大慈寺には道灌の首が葬られたのだという。 |
伊勢原市では、毎年10月の土・日に「道灌まつり」が開催され、「太田道灌公鷹狩り行列」と「北条政子日向薬師参詣行列」が行われる。 |
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