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「道灌まつり」は、伊勢原市の観光イベント。 文武両道に秀で、伊勢原市で生涯を閉じた戦国武将・太田道灌にちなんで付けられた名称。 太田道灌公鷹狩り行列、北条政子日向薬師参詣行列、観光総おどりなどの催しが予定されています。 毎年10月の土日に開催。 「太田道灌公鷹狩り行列」、「北条政子日向薬師参詣行列」は、有名人が太田道灌と北条政子に扮して行われています。 |
2025年の道灌まつり |
「太田道灌公鷹狩り行列」 「北条政子日向薬師参詣行列」 「伊勢原手作り甲冑隊行列」 10月5日(日)12:20 桜台交差点スタート |
御柱里曳きパレード 10月?日(日)13:00 国道246号伊勢原交差点スタート |
2025年・行列の配役 |
太田道灌役は・・・ お笑い芸人の尾形貴弘さん(パンサー)。 北条政子役は・・・ お笑い芸人の福田麻貴さん(3時のヒロイン)。 |
太田道灌は戦国時代に扇谷上杉家の家宰を務めた武将。 相模国粕谷の出身と考えられています(現在の伊勢原市)。 扇谷上杉家の家名を高める働きをしましたが、主君の上杉定正の粕谷館で暗殺されてしまいました。 伊勢原市内には大慈寺と洞昌院に道灌の墓が残されています。 参考までに、鎌倉の英勝寺は道灌の旧蹟に建てられた寺。 英勝寺の裏山にも道灌の首塚があります。 |
道灌の鷹狩りと山吹の伝説 |
ある日、鷹狩り出かけた太田道灌は、ひどい雨に降られ、蓑でも借りられないかと農家に立ち寄ったところ、一人の少女が出てきて道灌に「山吹の花」を差し出した。 道灌は意味がわからず、その話を家臣にしたところ、少女の意が山吹の花にちなんだ古歌「七重八重 花は咲けども 山吹の実(蓑)のひとつだに なきぞ悲しき」にあったことを教えられた。 「貧乏でお貸しできる蓑さえない」という意味で、「実」と「蓑」をひかっけた少女のとんちだった。 道灌は自分の教養のなさを恥じ、その後学問に励み、文武両道を備えた名君になったという。 |
鎌倉の英勝寺は、太田道灌の旧跡に建てられた寺。 境内には道灌の故事に因んで山吹が植えられています。 |
日向薬師 源頼朝と北条政子が信仰した古刹 |
鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』によると、日向薬師は「この国に2つとない効験のある薬師如来」として源頼朝や北条政子が信仰していました。 1192年(建久3年)8月9日、のちに三代将軍となる源実朝の誕生時には安産祈願所となりました。 1194年(建久5年)8月8日、源頼朝は長女・大姫の病気治癒祈願のため参詣しています。 北条政子の参詣は、1210年(承元4年)6月8日と1211年(建暦元年)7月8日に記録されています。 1211年(建暦元年)の参詣には、源実朝の正室坊門姫も同行しています。 |
太田道灌の墓 |
伊勢原市には太田道灌の墓が2つあります。 |
![]() (洞昌院) |
![]() (大慈寺) |
1486年(文明18年)7月26日、糟屋館で謀殺された道灌は、洞昌院の裏山で荼毘に付され、洞昌院に胴が、下糟屋の大慈寺に首が葬られた。 |
日本遺産 |
江戸時代に盛んに行われた大山詣。 招福除災を祈願して木太刀を奉納する風習がありました(納め太刀)。 これは、源頼朝が大山寺に「武運長久」を祈願して太刀を奉納したことに始まるのだと伝えられています。 |
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