鎌倉手帳(寺社散策)

源氏ボタルよりともくん『鎌倉殿の13人』2022年大河ドラマ  戌神将二代執権 北条義時

名馬池月の伝説
〜洗足池:千束八幡神社〜

編集:yoritomo-japan.com







池月像


 「池月」(いけづき:生月)は源頼朝愛用の名馬。

 1180年(治承4年)に源氏再興の挙兵をした源頼朝は、石橋山の戦いに敗れた後、海路安房(源頼朝上陸地)へと渡り、千葉常胤上総介広常らの武将を従えて鎌倉へと向かった。

 その途中、洗足池の畔に宿営し、諸将の到着を待ったという。

 その折、どこからともなく野馬が飛来。

 その嘶く(いななく)声は天地を震わすばかり。

 郎党が捕らえてみると、逞しい馬体は、青い毛並みで白の斑点を浮かべていたという。

 突然、源頼朝の前に現れたこの野馬は、「池に映る月影のよう」であったことから「池月」と名付けられ、頼朝の乗馬とされた。

 これより前、源頼朝「磨墨」(するすみ)も得ており、今また「池月」を得たことは平家征伐軍の成立の吉兆であるとして、征旗を高らかに掲げたという。

 この故事から、千束八幡神社は「旗上げ八幡」と呼ばれている。


池月像






〜宇治川の先陣争い〜

 1184年(寿永3年)、源頼朝は、木曽義仲を討つため、弟の範頼義経を上洛させる。

 そして、宇治川の戦いでは、源頼朝から、「池月」を与えられた佐々木高綱と、「磨墨」を与えられた梶原景季の先陣争いが繰り広げられた。

 前方を行く景季に対し、高綱は「馬の腹帯がゆるんでいるから、おしめなされ」と声をかけた。

 景季が腹帯を締め直している間、高綱は先に川の中に馬を乗り入れ、向こう岸へと渡り、先陣の名乗りをあげたのだとか・・・。

 リンクボタン宇治川の先陣争い


 「池月」は、「生食」や「生月」という文字が使われることもある。


宇治川先陣の碑
リンクボタン宇治川先陣の碑

磨墨像
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(大田区萬福寺)

 磨墨は、馬込(東京大田区)の産といわれ、萬福寺の山門前には磨墨像が置かれている。



鳥山八幡宮
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(横浜市)
馬頭観音堂
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(横浜市)

 池月は、その余生を高綱館があった鳥山(横浜市港北区)で過ごしたのだという。

 鳥山八幡宮は、高綱館の鎮守。

 高綱は、「生食」の霊を慰めるために駒形明神を建てたというが、今はなく、その代わりに馬頭観音堂が残されている。


御馬冷場
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(鎌倉)

 鎌倉の御馬冷場は、生食と磨墨の足洗場だったのだと伝えられている。







歴史めぐり源頼朝



千束八幡神社
リンクボタン千束八幡神社

東京都大田区南千束2−23−10


洗足池公園
リンクボタン洗足池公園

東急池上線「洗足池駅」下車徒歩2分



洗足池と池上本門寺
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