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金沢北条氏の祖北条実時が建てた持仏堂が称名寺のはじまりと推定されているが、創建の時期は明らかではない。 金沢北条氏の菩提寺であるとともに、学問寺としても大いに栄えた。 三代執権北条泰時によって朝夷奈切通が開かれると、泰時の弟実泰が鎌倉に接した六浦の地頭となり、その子実時は、鎌倉から六浦荘金沢に館を移した。 文書・書籍などの書物を火災等の災害から守るための書庫「金沢文庫」を建てるためともいわれている。 実時の子顕時の時代には、弥勒堂、護摩堂、三重塔が建立され、顕時の子貞顕の時代には七堂伽藍を備えた壮麗な寺となった。 しかし、1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めによって鎌倉幕府が滅びると衰退した(参考:鎌倉幕府の滅亡)。 塔頭光明院の「大威徳明王像」は、運慶の真作と判明している。 |
開山 | 審海 |
開基 | 北条実時 |
本尊 | 弥勒菩薩 |
![]() (赤門) |
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![]() (清涼寺式釈迦如来) |
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![]() (阿字ヶ池) |
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※ | 金沢北条氏三代目の貞顕は、京都に常在光院を築き、優美な庭園を築いたという。 その場所は定かではないが、浄土宗の総本山知恩院の方丈辺りではないかという説がある。 |
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京都の僧が称名寺を訪れて、山々の楓は紅葉の盛りなのに本堂前の楓が一葉も紅葉していないのを不審に思うと「楓の精」が現れて・・・ 昔鎌倉の中納言為相卿が、山々の紅葉はまだなのに、この楓だけ紅葉しているので「いかにしてこ一本に時雨(しぐれ)けん山に先立つ庭のもみじ葉」と詠むと、楓は非常に光栄に思い「功なり名とげて身退くは天の道」の故句に倣い、その後は紅葉せず常緑樹になったこと。草木にはみな心があること。を語り、僧に仏法を説くよう頼み、木の間の月に紛れて消え去ったという。 |
横浜市金沢区金沢町212−1 京浜急行金沢文庫駅下車徒歩15分。 |
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