鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
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武田八幡宮
〜山梨:韮崎〜

編集:yoritomo-japan.com







武田八幡宮


 武田八幡宮は、822年(弘仁13)に宇佐神宮の分霊を勧請して創建されたのだ伝えられている。

 のちに石清水八幡宮も勧請。

 甲斐源氏の武田信義は、武田八幡宮で元服して氏寺とし、社殿を再建したのだという。

 現在の本殿は、武田家十九代当主の武田信玄が再建したもので国の重要文化財。

 摂社若宮は、信義の弟加賀美遠光が建立。


祭神
誉田別命:応神天皇
(ほんだわけのみこと)
足仲津彦命:仲哀天皇
(たらしなかつひこのみこと )
息長足姫命:神功皇后
(おきながたらしひめのみこと)
武田武大神:日本武尊の子
(たけだたけのおおかみ)


摂社若宮
大鷦鷯尊:仁徳天皇
(おおさざきのみこと)


武田八幡宮




武田神社二の鳥居
二の鳥居

 武田信玄と父の信虎が再建した鳥居。


武田神社二の鳥居
二の鳥居の額

 武田信玄が書いたもので「武」の字が一画多いらしい。

 刀を抜かないという心情を表したものなのだとか。


武田神社二の鳥居
三の鳥居

 三の鳥居と石垣は県の指定文化財。


武田神社末社為朝神社
為朝神社

 強弓で知られる源為朝を祀る神社。

 為朝は保元の乱後、伊豆大島に流されたが、伝説によると、その後、武田信義のもとに身を寄せていたのだとか・・・


武田勝頼夫人願文の石碑
武田勝頼夫人願文の石碑

 織田・徳川連合軍の甲斐侵攻を受けた1582年(天正10年)2月19日、武田勝頼夫人は武田氏の安泰を祈願して「武田勝頼夫人北条氏祈願文」を武田八幡宮に奉納。

 しかし、3月に入ると戦況は悪化し、3月11日、勝頼・子の信勝らとともに自刃した。

 勝頼夫人は小田原の北条氏政の妹で19歳だったのだという。








近くに・・・

武田信義館
武田信義館跡
リンクボタン信義の館跡
信義の菩提寺
願成寺
リンクボタン願成寺


武田信義像
リンクボタン武田信義像





武田信義

 武田氏は、新羅三郎義光(源義光)を祖とする源氏。

 武田信義は、甲斐源氏の祖源清光の次男。

 伊豆国で挙兵した頼朝に呼応して駿河国に侵攻し、富士川の戦いでは平家軍を敗走させた。


武田信光

 武田信光は、武田信義の五男。

 武田流流鏑馬は、信光を祖とする安芸武田氏に伝えられた弓馬術。


小笠原長清

 小笠原長清は、甲斐源氏・加賀美遠光の次男。

 小笠原流流鏑馬は、長清からの受け継がれた伝統技術。







源頼朝挙兵

源頼朝鎌倉入り

歴史めぐり源頼朝



武田八幡宮
武田八幡宮

山梨県韮崎市神山町北宮地1185

韮崎駅前ロータリーから韮崎市民バス円野線で「武田八幡入口」下車 徒歩約5分



武田信義をめぐる!
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