鎌倉手帳(寺社散策)

六角ノ井

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六角ノ井


 保元の乱で敗れた源為朝(源義朝の弟、源頼朝の叔父)は、腕の筋を切られ大島に流された。

 伝説によると、弓の名手であった為朝が自分の力を試すために、配流先の大島から光明寺の裏にある天照山めがけて放った矢がこの井戸に落ちたのだという。

 井戸は八角だが鎌倉側に六角、小坪側に二角であることから「六角ノ井」と呼ばれるようになった。

 鎌倉十井の一つ。

 別名を「矢の根ノ井」というが、これは、村人が矢の根を拾い上げると水の質が悪くなったので、元に戻したところ、もとのような清水が涌き出るようになったという伝説からこの名がついた。

 現在も鏃が井戸の中段に祀られているようである。


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☆源為朝☆

 源為朝は、源為義の八男。

 源義朝の弟、源頼朝の叔父にあたる。

 弓の名手として知られ、九州で暴れ回り、「鎮西八郎」と称された。

 1156年(保元元年)、崇徳上皇と後白河天皇の対立に武士も参加した保元の乱が起こる。

 為朝は父為義とともに崇徳上皇につき、兄義朝は後白河天皇について戦った。

 為朝は夜戦を主張するが受け入れられず、逆に義朝に夜討ちをかけられてしまう。

 奮戦の末、敗れた為朝は、その武勇を惜しまれて命は助けられたが、自慢の弓は引けないよう腕の筋を切られて伊豆大島に流された。


源為朝


 傷が癒え、再び弓を引けるようになると大暴れし、伊豆七島を支配するようになるが、為朝追討の院宣が発せられ、追討を受けた為朝は自害した。

 一方、伝説では追討を逃れ、現在の沖縄県に渡り、琉球王国の始祖となったともいわれている。



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源為朝の伝説と鎌倉十井:六角ノ井






六角ノ井
六角ノ井

鎌倉市材木座6−23−7

鎌倉駅東口から小坪経由逗子駅行バス
「飯島」下車徒歩5分



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