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関白・藤原道隆の正室・高階貴子の曾祖父・高階師尚は、恬子内親王と在原業平の子という伝承がある。 |
『伊勢物語』に登場する「斎宮なりける人」は恬子内親王といわれ、朝廷より派遣された「狩の使」(鳥獣を得るため狩りをした勅使)は在原業平と考えられているが・・・ 二人はお互いに惹かれあって一夜をともにしている。 ただ物語の中では、逢瀬を遂げることはできなかったのだとか。 しかし・・・ 恬子内親王は懐妊し、生まれた子は高階師尚という話が流布されるようになってしまう。 |
のちに、一条天皇は譲位に当たって、皇后の藤原定子が生んだ第一皇子の敦康親王を東宮(皇太子)にと望むが・・・ 藤原行成に中宮・藤原彰子が生んだ第二皇子の敦成親王(のちの後一条天皇)を立てるよう進言されて諦めたのだという。 行成が進言した事のひとつには、 「定子の母・高階貴子が師尚の子孫のため、伊勢神宮に憚るところがある」 というものもあった。 行成の『権記』には、 「高氏ノ先ハ斎宮ノ事ニ依リ其ノ後胤為ル者ハ皆以テ和セザル也」 とある。 ただ、この記述は後世の加筆ではないかという説がある。 |
東宮になれなかった敦康親王~藤原行成が一条天皇に進言したこと~ 藤原彰子は敦康親王が東宮になることを望んでいた! |
斎宮は、伊勢神宮に仕えた未婚の内親王または女王。 天皇の即位ごとに占いによって選ばれ、宮城内に設けられた初斎院で一定期間心身を清め・・・ その後、宮城外の清らかな地として選ばれた「野宮」で心身を清めて伊勢へ下向した。 紫式部の『源氏物語』では、六条御息所の娘(秋好中宮)が斎宮となっている。 |
斎宮邸は、斎王(斎宮)の居所で、西京高校がその跡地の一つとされている。 |
野宮神社は、伊勢神宮に仕える斎王(斎宮)が伊勢に赴く前に身を清めたという「野宮」の地に鎮座する社。 『源氏物語』の舞台とされている。 |
1011年(寛弘8年)6月13日、一条天皇は三条天皇に譲位。 その時に東宮(皇太子)に立てられたのは、藤原定子が生んだ第一皇子の敦康親王ではなく、藤原彰子が生んだ第二皇子の敦成親王。 第一皇子が皇太子になれないのは異例のことだった。 彰子は、敦康親王を無視して敦成親王を皇太子にしようとする藤原道長に対して激怒していたのだと伝えられている。 |
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