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藤原彰子は敦康親王が東宮になることを望んでいた!


編集:yoritomo-japan.com








 一条天皇の第一皇子でありながら東宮(皇太子)になることができなかった敦康親王

 一条天皇は、寵愛した藤原定子が生んだ敦康親王を東宮にと望んでいたが・・・

 藤原道長の意を汲んだ藤原行成の進言により藤原彰子が生んだ第二皇子の敦成親王を東宮とすることにしたのだという。

 ただ、彰子敦康親王を東宮にと考えていたらしい。

 彰子は何度も自分の考えを道長に伝えたが、敦成親王を東宮にして早く天皇の外戚となりたい道長が聞き入れるはずがなかった。

 道長のやり方に納得のいかない彰子・・・

 行成の『権記』には、「彰子が道長を怨んだ」と記されている。

 そして、病が重くなっていた一条天皇は、居貞親王(三条天皇)に譲位。

 東宮には敦成親王が立てられた。

 彰子は、一条天皇から譲位について聞かせれていなかったのだという。

 さらに、道長は一条天皇の譲位の考えを居貞親王に伝えに行ったとき、彰子の部屋の前を素通りしていったのだとか。

 これには彰子も道長と一条天皇に対して怒りをあらわにしたのだと伝えられている。



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一条天皇 円融寺北陵
リンクボタン一条天皇 円融寺北陵

 1011年(寛弘8年)6月13日、居貞親王(三条天皇)に譲位した一条天皇は6月22日に崩御。

 7月8日夜に火葬された遺骨は、翌日、東山の円成寺に安置され、9年後の1020年(寛仁4年)6月16日、円融寺に改葬された。

 円融寺北陵龍安寺内にある。



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