|
白旗神社の源義経と武蔵坊弁慶の銅像は、2019年(令和元年)10月竣工。 源義経公没後830年の記念事業の一つとして建てられた。 |
『吾妻鏡』によると、1189年(文治5年)閏4月30日、源義経は、源頼朝の圧力に屈した藤原泰衡に攻められ、平泉の衣川館で自刃。 その首は、藤原秀衡の四男・高衡(新田冠者高平)によって腰越の浜まで運ばれ、6月13日、侍所別当の和田義盛と所司の梶原景時が首実検を行った。 首は、黒漆の櫃に入れられ、美酒に浸されていたのだという。 伝説によると・・・ 首実検後、義経の首は金色の亀に乗って白旗川を遡り、現在の白旗の地に辿り着き、埋葬されたのだという。 |
白旗神社の南方には、里人が義経の首を洗い清めたという井戸が残され、首塚が建てられている。 |
伝承によると、腰越の浜では、義経とともに弁慶の首実検も行われ、常光寺の八王子社に祀られたのだという。 現在は弁慶塚(首塚)のみが残されている。 |
1189年(文治5年)閏4月30日、藤原泰衡に衣川館を攻められた義経は、正妻の郷御前と4歳の娘を殺害した後、自害した(享年31)。 |
弁慶:あの世のへの道の途中で待っていてください。 義経:のちの世も巡り会おう |
衣川の戦いで義経を守る弁慶は、無数の矢を受けて立ったまま絶命したのだという(弁慶の立ち往生)。 |
白旗神社の例大祭(白旗まつり)では、義経と弁慶の神輿が渡御する。 |
弁慶藤 |
義経藤 |
白旗神社の境内には、弁慶藤(ノダフジ)と義経藤(シロフジ)が植えられている。 |
神奈川県藤沢市藤沢2−4−7 小田急江ノ島線「藤沢本町」下車徒歩5分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|