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腰越海岸は、江の島と小動岬の間。 東側が腰越海岸で、西側が江の島の片瀬東浜海岸。 「腰越」という名は、「人々が肥えた土地を求めて、山の腰を越えて、海側の地へ移り住んできたから」とも、「五つの頭をもった龍が、里の子を食べるので人々が土地を離れたことから「子死越」と呼ばれるようになった」とも伝えられている。 |
龍口明神社は、江の島弁財天の霊感に降伏した五頭龍を祀ったのが始まりという。 |
腰越は、江戸時代には「鎌倉五ヶ浦」と呼ばれた漁村。 五ヶ浦とは、材木座、坂ノ下、腰越、片瀬、江ノ島。 |
壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼし、平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとした源義経だったが・・・ 兄源頼朝の怒りに遭って鎌倉に入ることができず、腰越に逗留していたのだという。 有名な「腰越状」は、滞在していた満福寺で書いたと伝えられている。 その後、頼朝と対立した義経は、藤原秀衡を頼って奥州平泉に逃れるが、秀衡の死後、その子泰衡に攻められ衣川館で自刃。 義経の首は、腰越の浜に運ばれ、和田義盛と梶原景時による首実検が行われた後、藤沢の白旗神社付近に流れ着き葬られたと伝えられている。 |
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小動岬は、八王子社(現小動神社)があったことから、八王子山とも呼ばれている。 |
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鎌倉の海開きは7月上旬。 7月に行われる「天王祭」では、江ノ島の八坂神社の神輿が腰越に迎えられ、小動神社へと渡御する。 |
鎌倉海水浴場の愛称はそのまま・・・(okadoのブログ) |
由比ヶ浜、材木座、坂ノ下、七里ヶ浜、腰越の5つの海岸。 |
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