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990年(正暦元年)、父の兼家の後を継いだ藤原道隆。 嫡男の伊周は内大臣、四男の隆家は参議、長女の定子は一条天皇の中宮、三女の原子は居貞親王(後の三条天皇)の妃となった。 しかし、995年(長徳元年)4月10日に急死。 疫病が大流行していた年の出来事だったが・・・ 『大鏡』によると・・・ 道隆は疫病に罹って亡くなったのではなく、酒の飲みすぎで亡くなったのだとか。 |
賀茂祭の還御の行列を見物するため、藤原済時・藤原朝光と同じ牛車で 紫野に出かけた道隆。 烏がとまっている形をした酒瓶を作らせて、それに酒を入れて飲んで見物していたが・・・ 酒が過ぎてくると、牛車の前後の簾を上げ、三人ともに冠(烏帽子)を外して髻をあらわにしてしまったのだとか。 当時、烏帽子を外して髻を見せることは恥ずかしい行為とされていたので、『大鏡』にも「みっともない行為」と記されている。 |
道隆の酒飲みに付き合っていた藤原済時・藤原朝光も疫病が大流行した995年(長徳元年)に亡くなっている。 |
賀茂詣の日は、下鴨神社の社前で素焼きの土器に入った酒を三度勧めるが慣わしだったが・・・ 道隆が詣でたときは、神社の者も道隆が酒好きとわかっているため、七度も八度も勧めたのだとか。 そのため道隆は、下鴨神社から上賀茂神社へ向かう道中、牛車の中で仰向けになって寝ていたらしい。 供をしていた弟の道長は、牛車に道隆の姿が見えないことから不思議に思いつつも上賀茂神社に到着。 道長は上賀茂神社に到着したことを気づかない道隆を起こしたのだというが・・・ 道隆は酔いつぶれた様子もなく、美しい様子だったのだとか。 『大鏡』は、道隆の酒の飲みっぷりは見事と伝えている。 |
賀茂詣は、摂政・関白が賀茂祭(葵祭)の前日に賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を参詣すること。 |
上賀茂神社 |
下鴨神社 |
上賀茂神社・下鴨神社は、古くから朝廷から崇敬され、賀茂祭(葵祭)は勅祭とされた。 石清水八幡宮の例祭(石清水祭)・春日大社の例祭(春日祭)とともに三大勅祭の一つ。 |
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