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庚申の日に神仏を祀って徹夜をする行事を「庚申待」(こうしんまち)という。 古くから人間の体の中には3種類の悪い虫(三尸)が棲んでいて、庚申の日には、寝ている間にその者の悪事を天帝に報告に行くのだ言われてきた。 ならば、ということで・・・ 「庚申の日の夜は眠らない」 という風習が生まれる。 「守庚申」(しゅこうしん)とも呼ばれ、平安貴族は徹夜で詩歌や管弦の遊びを催していたのだとか。 それが「夜通し酒宴を行う」という風習に変化して庶民にも広まっっていったらしい。 |
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982年(天元5年)、藤原兼家の長女・超子は、庚申待の明け方、脇息に寄りかかったまま息絶えたのだという。 その後、兼家一門では庚申の催しを行うことはなかったらしい。 |
1217年(建保5年)8月15日、庚申の日。 鶴岡八幡宮の放生会が終わり、御所に戻った将軍・源実朝は、名月だったので風習を守って、和歌の会を催している。 |
1237年(嘉禎3年)3月9日、庚申の日。 三代執権・北条泰時らは、洪水にもかかわらず風習を守って和歌会を催している。 |
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庚申の使いは猿。 悪事を見ない、聞かない、話さない! 三猿は、謹慎の態度を示すものなので、「三尸に告げられないように」という願いがあるのだとか。 |
八坂庚申堂は、傾いた八坂の塔を法力で元通りにしたという浄蔵貴所の創建と伝えられる日本最古の庚申堂。 本尊の青面金剛は三尸の虫を食べてくれる・・・ |
日光東照宮の三猿には「見させない、聞かせない、言わせない」という意味も。 三猿は、第十八代天台座主の良源(元三大師)が詠んだという「七猿の歌」から生まれたとも・・・ |
紫式部の『源氏物語』ゆかりの須磨寺の猿は五猿。 |
比叡山の鎮守・日吉大社は山王として崇められてきた社。 日吉大社は猿を神使としている。 第十八代天台座主の良源(元三大師)が詠んだという「七猿の歌」には・・・ 「見ず聞かず言わざる三つのさるよりも思わざるこそまさるなりけれ」というのがある。 この歌から三猿が出てきたともいわれる。 |
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