紫式部「光る君へ」


花山朝の政策
花山天皇と義懐・惟成・頼忠・兼家


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 984年(永観2年)、花山天皇が即位。

 関白には円融天皇に引き続き藤原頼忠が着任したが、実権を握ったのは花山天皇の外叔父・藤原義懐と乳母子・藤原惟成

 義懐と惟成は、荘園整理令の発布や物価抑制、銅銭使用の促進など革新的な政治を行っている。




~荘園整理令~

 984年(永観2年)に発布。

 荘園整理令は、違法な荘園を整理・停止する法令。

 花山天皇の時代の法令は「永観の荘園整理令」と呼ばれ、902年(延喜2年)に発布された醍醐天皇時代の「延喜の荘園整理令」がもとになっている。



~京中物価沽価の法~

 沽価法(こかほう)は、985年(寛和元年)3月に銭価下落等による物価騰貴に対する措置として制定された。

 前年11月に制定された破銭法に関連するものらしい。

 破銭は銭を溶かして銅地金にすること。



~銭価流通のための祈祷~

 986年(寛和2年)6月16日、前年中ごろ銭が使われなくなったため、銭価流通のための祈祷が企てられている。





~花山天皇が出家~

 藤原義懐藤原惟成の革新的な政策は、関白・藤原頼忠や右大臣・藤原兼家との確執を招いた。

 そして、頼忠の権勢が不安定になる中、985年( 寛和元年)7月18日、花山天皇の寵愛を受けていた藤原忯子が急死。

 この機に動き出したのが兼家

 早く次女の詮子が生んだ懐仁親王を皇位につけたい兼家は、三男・道兼に出家を勧めさせ、986年( 寛和2年)、元慶寺で出家させた(寛和の変)。

 義懐惟成も出家し、政界から退くことに。

 関白の藤原頼忠もその地位を失った。

 幼い一条天皇が即位すると、兼家が摂政に就任している。




元慶寺
リンクボタン元慶寺

 花山天皇が出家した元慶寺は、868年(貞観10年)、藤原高子の発願により遍昭が開いた寺院。


リンクボタン花山天皇の退位を知っていた安倍晴明~寛和の変~



~忯子は何故死んだ?~

リンクボタン藤原忯子の懐妊と死~花山天皇は?父藤原為光は?~










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