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材木座の来迎寺は、1194年(建久5年)、源頼朝が三浦大介義明の菩提を弔うために建立した真言宗の能蔵寺が始まり。 1335年(建武2年)、開山となる音阿が時宗に改宗。 三浦一族は、1180年(治承4年)の頼朝の挙兵の際(石橋山の戦い)に出陣するも間に合わず、その帰路、由比ヶ浜で当時平氏方だった畠山重忠軍と戦い、義明の孫多々良重春が討死。 その後、衣笠城が攻められ、義明は籠城の末、討死している(89歳)。 「百六つ義明公」という伝説が残されているが、頼朝が「17回忌まで生きたものとみなす」よう伝えたためなのだとか・・・。 本堂横には義明の五輪塔が、本堂裏には三浦一族の墓がある。 本尊阿弥陀三尊は運慶作と伝えられ、義明の守り本尊だったといわれる。 |
鎌倉観音巡礼第14番札所 (聖観世音) |
開山 | 音阿 |
本尊 | 阿弥陀三尊 |
時宗総本山遊行寺(清浄光寺) 鎌倉の時宗の寺 |
江戸時代に門付歌に「鶴は千年、亀は万年 三浦大介百六つ」というのがあったのだという。 |
※ | 門付とは、門前で音曲などを奏する芸。 |
これは、源頼朝が三浦義明の17回忌で「あなたは今も私の中で生きている」と述べたことに始まっているのだとか。 義明が亡くなった89歳に17歳を足して「百六つ」。 |
三浦義明墓 |
三浦一族の墓 |
玉藻前(たまものまえ)に化けて鳥羽院をたぶらかした九尾の狐。 正体を見破られて那須野に逃げた狐は、上総広常と三浦義明に討ち取られ、殺生石となったのだという。 那須野の狐退治と殺生石 鎌倉地蔵の伝説(京都・真如堂) |
三浦義明像 (横須賀満昌寺) |
衣笠城址 (横須賀) |
相模の武将「三浦氏」ゆかりの地 |
ノウゼンカズラ |
サルスベリ |
鎌倉市材木座2−9−19 0467(22)4547 鎌倉駅東口から徒歩20分 九品寺循環バス「五所神社」下車徒歩5分 |
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