奈良・京都

紫式部 紫式部年表



吉野山:金峯神社

編集:yoritomo-japan.com








吉野山:金峯神社


 金峯神社(きんぷじんじゃ)は、吉野山の地主神・金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀る神社。

 創建は不明。



〜藤原道長の金峯山詣〜

 1007年(寛弘4年)8月11日、金峯山詣を行った藤原道長は、自ら書写した法華経などを金峯山(山上の蔵王堂)に埋納している。

 翌年、娘で一条天皇の中宮・彰子土御門殿で敦成親王(後一条天皇)を出産。

 人々は「金峯山の御霊験」と噂したのだとか。

 金峰神社蔵の「金銅藤原道長経筒」は国宝。



〜『枕草子』に書かれた金峯山詣〜

 990年(正暦元年)3月、金峯山詣を行った紫式部の夫・藤原宣孝は、その御利益があって筑前守に任官されたのだとか・・・

 清少納言の『枕草子』には、その時の様子が書かれている。


リンクボタン『枕草子』:藤原宣孝の逸話〜清少納言と紫式部〜





吉野山:義経隠れ塔
義経隠れ塔

 金峯山寺の僧兵の山狩りから逃れるため、源義経が身を隠したと伝えられている堂。

 追手に囲まれた義経が屋根を蹴破って逃げたと伝えられていることから「蹴抜の塔」(けのけのとう)とも呼ばれる。

 現在の建物は大正期に再建されたもの。





吉野山:佐藤忠信花矢倉
リンクボタン佐藤忠信花矢倉

 義経の郎党佐藤忠信は、義経を落ち延びさせるため、花矢倉から覚範をはじめとする僧兵たちに矢を浴びせて戦ったのだと伝えられている。





〜捕らえられた静御前〜

金峯山寺
リンクボタン金峯山寺
静御前の舞塚
リンクボタン静御前の舞塚
(勝手神社)

 吉野山で5日間を過ごした後、別れた義経静御前

 静御前は、蔵王堂(金峯山寺)に辿り着いたところを捕えられ、勝手神社の社殿の前で舞い、荒法師たちを感嘆させたのだと伝えられている。








源義経

静の舞

源義経をめぐる京都

歴史めぐり源頼朝




金峯神社
金峯神社

 奈良県吉野郡吉野町吉野山1292

 吉野大峯ケーブル自動車「吉野山駅」から徒歩2時間。


吉野山
リンクボタン吉野山



吉野山
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。









奈良・京都


葵祭

祇園祭

時代祭


中世歴史めぐり





紫式部 紫式部年表


鎌倉殿の13人 後白河法皇
後鳥羽上皇 二代執権北条義時