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紫式部 紫式部年表



京都:貴船神社

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貴船神社本宮


 貴船神社の創建年代は不詳。

 祭神は、高?神 (たかおかみのかみ)

 一説によると、玉依姫命(神武天皇の母)が、黄色い船に乗って淀川・鴨川を遡り、その源流の貴船川に至って水神を祀り、黄船の宮としたのを始まりとし、796年(延暦15年)には、藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)の夢に貴船神社の神が現れ、鞍馬寺を建立するよう託宣したのだという。

 平安時代には、水源を守る神として崇敬を受け、雨乞い・雨止めの神事が行われた。

 また、和泉式部が祈願して夫との復縁が叶ったことから縁結びの神としても信仰されるようになった(和泉式部歌碑)。

 1046年(永承元年)に社殿が流失し、1055年(天喜3年)、現在の本宮の地に社殿を再建・遷座され、もとの鎮座地は奥宮とされた。

 以後、上賀茂神社の摂社とされていたが、1871年(明治4年)に独立。

 鞍馬寺に預けられてた遮那王(源義経)が平家討滅の祈願をしたとも伝えられる。



賀茂神社 二葉葵
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(上賀茂神社・下鴨神社)



貴船神社参道
本宮参道


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〜『義経記』が描く源義経の奥州下り〜





貴船神社・結社
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(中宮)
貴船神社・本宮
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貴船神社水占い
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貴船神社絵馬発祥の社
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貴船祭(例祭)
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貴船神社・和泉式部歌碑
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貴船神社思ひ川
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〜丑の刻参り〜

 丑の刻参りは、神社の神木に憎い相手にみたてた藁人形を釘で打ち込んで呪うというもの。

 貴船神社は丑の刻参りで知られ、平安時代から行われていたというが、本来の信仰は、貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると心願成就するというものであって、呪詛することは本来の意味ではない。





〜宇治の橋姫の伝説〜

  伝説によると、ある都の女が、妬む相手に取り付いて殺すため、鬼女になることを願い、貴船神社に参籠した。

 すると「姿を変えて、三七日間、宇治川に浸かれ」と告げられた。

 そこで女は、長い髪を五つ分けて五本の角とし、顔には朱をさし、体には丹を塗り、鉄輪(かなわ)を逆さに頭に載せ、三本の脚には松明を燃やし、両端を燃やした松明を口にくわえ、計五つの火を灯した。

 そして、宇治川に浸かり続けると願いのとおり鬼女になれた。

 というのが「宇治の橋姫」の伝説。

 鬼女となった橋姫は、妬む女を殺し、親類を殺し、女の相手を殺し、しまいには誰彼かまわず殺しながら、延々と生き続けていたという。

 長い年月が過ぎたある晩、源(渡辺)綱と橋姫が一条戻橋で出会う。

 橋姫は綱に送ってくれるよう頼み、綱がそれを引き受けると、橋姫は鬼女に変わり、綱を捕らえて舞い上がり、愛宕山へ連れ去ろうとするが、綱は北野天満宮の上空で持っていた源氏重代の「髭切の太刀」で鬼女の腕を斬りおとして返り討ちにしたという。

 参考:宇治の橋姫神社



宇治橋
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橋姫神社
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〜藤原惟成の元妻〜

 藤原惟成は、花山天皇の時代に実権を握った貴族。

 貧乏だった頃に尽くしてくれた妻と離縁して源満仲の婿となったことから、元妻は貴船神社に詣でて、惟成が乞食になるよう祈ったのだという。

 やがて寛和の変花山天皇が出家し、惟成は元妻の願いどおり乞食になってしまったのだという。





豆まき発祥伝説

髭切と膝丸〜源家重代の太刀〜








歴史めぐり源頼朝




貴船神社
貴船神社

京都市左京区鞍馬貴船町180

叡山電鉄「貴船口駅」から徒歩30分
京都バス「貴船」から徒歩8分



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