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源頼朝が建立した「三大寺院」と呼ばれるものに、「鶴岡八幡宮(寺)」、「勝長寿院」、「永福寺」がある。 残念ながら、現存するのは鶴岡八幡宮のみで他は廃寺となった。 |
※ | 鶴岡八幡宮は、江戸時代まで「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれる神仏混淆の宗教施設であったが、明治時代の神仏分離令やそれに伴う廃仏毀釈の運動により、仏教関係の御堂や伽藍は破壊された。 |
伊豆国に流されていた源頼朝は、1180年(治承4年)に挙兵し、鎌倉を本拠とした。 鎌倉に入った頼朝が最初に行ったのが先祖源頼義が由比郷に創建した由比若宮を小林郷へ遷座することだった。 以後、鎌倉の街は、鶴岡八幡宮を中心に整備されていく。 |
1185年(文治元年)、父義朝の菩提を弔うために建立した源氏の菩提寺ともいうべき寺。 室町時代に廃寺となった。 源頼朝が配流先の伊豆国で親交を深めたとされる文覚が、義朝の骨を京から持ち帰ってきた伝わる。 本堂の壁画は「藤原(宅間)為久」が描き、奈良の仏師「成朝」によって黄金の阿弥陀仏が彫られ、のちに「運慶」が彫った「五大尊像」が安置されたという。 |
1192年(建久3年)、藤原泰衡を討つために奥州へ出陣した際に見た平泉の中尊寺や毛越寺を模して建てた壮大な寺院だったが、室町時代に廃寺となった。 奥州平泉で自刃した源義経や奥州藤原氏の霊魂を鎮めるとともに、源頼朝の権勢を世に知らしめるために建立されたのだという。 現在も残る二階堂の地名は、永福寺の本堂が「二階堂」と呼ばれていたことによる。 |
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