鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



三島神社(元御島神社)
〜静岡県伊東市富戸〜

編集:yoritomo-japan.com







伊東市三島神社


 三島神社は、賀茂郡白浜にあった三嶋大社が田方郡(現在地)に遷座する際、その途中の富戸が神徳に浴したことから祀られたのだという。

 元の名称である「御島」は伊豆諸島の尊称と考えられ、「三嶋神」は伊豆諸島の「御島神」を意味するのだとか。

 現在の本殿は1803年(享和3年)の建立。

 祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)。

 源頼朝八重姫の子・千鶴丸を相殿に祀る(若宮八幡)。


三嶋大社
リンクボタン三嶋大社

 三嶋大社は伊豆国一ノ宮。

 創建は不明だが、通説では賀茂郡三島郷、賀茂郡大社郷白浜、そして田方郡小河郷の伊豆国府(現社地)へ遷座されたのだという。






〜伊東祐親に殺された千鶴丸〜

 1160年(永暦元年)3月、前年の平治の乱平清盛に敗れて伊豆国流罪となった源頼朝

 やがて、伊東祐親の三女八重姫と結ばれて、男子を授かり千鶴丸と名付けて大切に育てていたが・・・

 それを知った祐親は、清盛に咎められることを怖れ、家来に命じて千鶴丸を腰に石の重しをつけて八代田の川に沈めて殺害。

 その場所は、後に「稚児ヶ淵」と呼ばれるようになったのだという。

 伝説によると、

 その後、石の重しがとれた千鶴丸の遺体は、川を下って富戸の海岸に流れ着き、それを釣をしていた甚之右衛門が発見して葬ったのだと伝えられている。

 その際、甚之右衛門が遺体を安置した石が宇根展望台にある産衣石なのだとか。

 その後、千鶴丸は若宮八幡として三島神社に祀られたのだという。


伊東市三島神社の橘


 伝説によると、遺体で発見された千鶴丸は橘の枝を握っていた。

 それは、千鶴丸が稚児ヶ淵に連れて行かれる途中の鎌田神社で、花の香りを漂わせていた橘の枝を家臣が二本折って慰めに持たせたものだった。

 それを甚之右衛門が社前に刺したところ根付き、数年間成長を続けたが枯死してしまったのだという。

 現在、社前の左側に植えられている橘は、1933年(昭和8年)に社前の両側に植えられたうちの一本。

 右側は枯れてしまったのだという。



伊東市産衣石
リンクボタン産衣石

 産衣石は、三島神社の南の海岸にある石。

 千鶴丸の遺体は、この石の上に安置され、衣服が乾かされた後に葬られたのだという。



〜「おとなしの森」の伝説〜

 恋仲となった源頼朝八重姫は、「おとなしの森」で愛を育んだのだという。

伊東市音無神社
リンクボタン音無神社
伊東市日暮八幡神社
リンクボタン日暮八幡神社

 音無神社は、源頼朝八重姫との密会を重ねたという「おとなしの森」に鎮座する神社。

 日暮八幡神社は、頼朝が八重姫に会うために日暮れになるのを待ったという「ひぐらしの森」に鎮座する神社。


〜千鶴丸の菩提寺〜

伊東市最誓寺
リンクボタン最誓寺

 最誓寺は、千鶴丸の菩提を弔うために創建されたと伝えられている。



一杯水:峠の地蔵尊
リンクボタン峠の地蔵尊
(熱海:一杯水)

 千鶴丸が殺害された後、源頼朝も命を狙われ、走湯権現(現在の伊豆山神社)に逃れた。

 その途中で喉の渇きを潤したのが一杯水で、のちに一杯水の傍らに千鶴丸を供養するための地蔵尊が祀られたのだという。







八重姫

歴史めぐり源頼朝



伊東市三島神社
三島神社

伊東市富戸686

伊豆急行伊豆急行線「富戸駅」から徒歩10分
(※行き下りだが帰りは急な上り坂)


伊東で源頼朝伝説



富戸の千鶴丸伝説
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