鎌倉手帳(寺社散策)

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特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



伊豆国流罪の源頼朝と平清盛
〜伊豆:蛭ヶ小島〜

編集:yoritomo-japan.com







 源頼朝は、1147年(久安3年)4月8日、源義朝の三男として誕生。

 母は熱田神宮大宮司藤原季範の娘由良御前


源頼朝
伝源頼朝像
(神護寺蔵)


 1159年(平治元年)、頼朝は、父義朝に従って戦った平治の乱平清盛に敗れた。

 義朝は、頼朝ら8騎とともに東国へ逃れようとするが頼朝は途中ではぐれてしまう。

 落武者狩りに遭いながら、尾張国野間の長田忠致のところに身を寄せた義朝は、忠致の裏切りに遭い、入浴中に暗殺された。

 義朝の郎党鎌田政長(政清)も酒を飲まされ、忠致の子景政の騙し討ちに遭った。

 愛知県美浜町の野間大坊(大御堂寺)には義朝の墓がある。

 のちに頼朝は、鎌倉に勝長寿院跡を建て、義朝と鎌田政長(政清)の髑髏を葬った。

 義朝の長男義平は、清盛暗殺を企てて処刑され、次男朝長は、落武者狩りに遭ったときに負傷したため義朝に殺してもらったのだという。


源義朝墓朝
リンクボタン源義朝の墓
(愛知県美浜町)
源義朝湯殿
リンクボタン義朝の湯殿跡
(愛知県美浜町)


リンクボタンたった八騎で都を落ちた源義朝



伊豆蛭ヶ小島へ配流

 逃亡途中で義朝らとはぐれた頼朝は、平家の家人に捕らえられ京六波羅に送られた。

 平清盛によって処刑されると思われた頼朝だったが、清盛の継母池禅尼の命乞いによって救われた(早くに死んだ子家盛に頼朝が似ていたからだという。)。

 死を免れた頼朝は、伊豆国の蛭ヶ小島に流された。


リンクボタン源頼朝の助命嘆願をした池禅尼

リンクボタン源頼朝が流された地は伊東という説


平清盛
平清盛像
(六波羅蜜寺蔵)

 京都の六波羅蜜寺の境内には、平清盛をはじめとする平家一門の屋敷が建ち並んでいたという。


六波羅蜜時
リンクボタン六波羅蜜寺



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歴史めぐり源頼朝



蛭ヶ小島
リンクボタン蛭ヶ小島

 源頼朝が流されたという伊豆国の蛭ヶ小島は、水田の中にあった高地で、蛭が多かったことから付いた名といわれている。

 頼朝はここで父義朝の菩提を弔いながら、約20年を過ごした

静岡県伊豆の国市四日町17−1

伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅から徒歩10分






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