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芦の湯から精進池への国道1号線沿いに並ぶ三基の五輪塔は、曽我兄弟と虎御前のものと伝えられている(国重文)。 総高約2.5メートルの五輪塔で、左側2つが曽我兄弟のもので、右の少し低い塔が虎御前のもの。 虎御前の五輪塔には「永仁三年」(1295年)の銘が刻まれ、地蔵講によって建立されたことが判明している。 地蔵講の銘が刻まれているのは、この五輪塔が最古のものといわれている。 近くには地蔵信仰に基づく石仏群が存在する。 |
1193年(建久4年)5月28日、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りでは、「曽我兄弟の仇討ち事件」が起こった。 曽我兄弟は、見事に親の仇を討ち果たしたが、兄十郎祐成は仁田忠常に討たれ、弟五郎時致は捕らえられ、のちに斬首された。 ![]() ![]() ![]() 曽我兄弟は、箱根路を通って箱根権現に立ち寄ってから富士に向かったのだという。 |
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虎御前は、大磯の遊女で十郎祐成の妾。 『吾妻鏡』によれば、虎御前は、曽我兄弟の仇討ち事件後の6月1日に呼び出され、尋問を受けたが無罪放免されたという。 6月18日には、箱根権現の別当行実を訪れ出家し、祐成に最後に与えられた馬を施物とした。 その後、信濃の善光寺に向かったという(19歳の時だった。)。 |
![]() (大磯町) |
![]() ![]() (鴫立庵) |
延台寺は虎御前が曽我兄弟を供養するために建てた草庵が始まり。 鴫立庵の木像は虎御前19歳有髪僧体のもの。 |
精進池の畔や国道1号線沿いの石仏群。 |
精進池畔の源満仲の宝篋印塔と八百比丘尼の墓と伝わる宝篋印塔。 |
1180年(治承4年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、箱根権現(箱根神社)の別当行実を頼って逃れた。 のちに頼朝は走湯権現(伊豆山神社)・箱根権現の二所と三嶋社を参詣する「二所詣」を始めている。 |
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1 伊豆箱根バス「元箱根」下車 箱根登山バス「元箱根港」下車 徒歩10分 |
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60年に一度の祭礼![]() |
源頼朝も祀る! |
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