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江の島は陸繋島(りくけいとう)。 陸繋島とは、砂州で大陸や大きな島と陸続きになった島のこと。 そして・・・ トンボロは砂州でできた江の島へと続く砂の道(陸繋砂州)。 普段は海の底だが、干潮時に海底が現れて、江の島と対岸の片瀬の浜が繋がる(トンボロ現象)。 4月から9月頃までの季節限定の現象。 |
潮が引いたばかりの砂の道に江の島が映る! |
対岸の片瀬のビルも海に映る! |
かつての江の島詣は、干潮時にトンボロ干潟を歩いて渡っていた。 |
浮世絵にも描かれたトンボロ。 江の島は、源頼朝が弁財天を勧請して以来、近江の竹生島・安芸の宮島とともに弁財天信仰の中心として栄えてきた(日本三大弁財天)。 江戸後期になると、江戸から近いこともあって、江の島詣が人気を集め、特に6年に一度の弁財天御開帳の年(巳年と亥年)には多くの参詣者で賑わったとのだとか。 江の島の入口に建てられた青銅鳥居には、寄進者の中に吉原の花魁(おいらん)の名も刻まれている。 |
徳川家康も歩いたトンボロ |
1600年(慶長5年)6月16日、会津の上杉景勝を征伐するため大坂城を出陣した徳川家康。 6月28日には藤沢に宿営し、翌29日、竹生島・厳島とともに三大弁才天の一つに数えられる江の島を参詣。 このとき、家康はトンボロを歩いて江の島に渡ったのだとか。 その後、鎌倉に入った家康は鶴岡八幡宮で戦勝祈願をしている。 |
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2024年まで、片瀬海岸からトンボロを歩いて江の島に上陸するには、高さ3mほどのフェンスを乗り越えなければなりませんでした。 そのため、トンボロが出現するのに合わせて仮設階段が設置されていましたが・・・ 2025年(令和7年)、常設の階段が設置されました。 ただ、昇降できるのは決められた開放日のみとなります。 |
2025年の階段開放日 |
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トンボロを歩いて江の島に上陸するとデジタル記念証を受け取れます。 上は「ふじキュン♡」の記念証。 下は「浮世絵」の記念証。 |
江の島トンボロ~神の棲む島につながる道~2025/05/28 江の島 トンボロ記念証~トンボロを歩いて江の島上陸2025/05/15~ |
江の島が突然陸続きになった日 |
『吾妻鏡』によると・・・ 1216年(建保4年)正月15日、江の島明神からのお告げがあって、海がたちまちのうちに道になってしまい、参詣者は船に乗ることなく江の島へ渡れるようになったのだとか。 めったにない神が起こした不思議な現象を見るため、鎌倉をはじめ、相模の国中から出家者・在家者、身分の上下にかかわらず多くの者が群れを成してやってきたのだという。 その様子を視察した三浦義村は、源実朝に「霊験あらたかなことでございます」と報告している。 |
※ | 実朝の時代に起こった現象は、大地震がもたらした地殻変動と考えられている。 |
江の島トンボロは、東側からの波と西側からの波がぶつかって砂の道を造り出しているという。 高橋由一が描いた絵でもわかるとおり、昔はもう少し西側に現れていたようだが、片瀬漁港などの整備によって移動しているらしい。 |
トンボロは、潮位がおよそ20センチメートルより低くなる時に現れます。 |
6月は紫陽花シーズン。 鎌倉のアジサイも、江の島のアジサイも。 |
江の島天王祭は、江島神社の末社八坂神社の祭礼。 7月の第二日曜日に神輿が海に入る! |
その1:江の島弁天橋~青銅鳥居~辺津宮 その2:中津宮~御岩屋道通り その3:奥津宮~稚児ヶ淵~岩屋 |
江の島は、砂が堆積して湘南海岸と島とが陸続きとなった陸繋島。 鎌倉時代には源頼朝が弁財天を勧請。 江戸時代には、大山・江の島の二所詣が流行し賑わった島。 |
江ノ電「江ノ島駅」から徒歩25分 小田急「片瀬江ノ島駅」から徒歩20分 湘南モノレール「湘南江ノ島駅」から徒歩27分 |
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