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|  江の島は、近江の竹生島や安芸の宮島(厳島)とともに弁財天信仰の中心として栄えた島(日本三大弁財天)。 江の島弁天橋を渡ってすぐにあるのが、江の島弁財天信仰を象徴する鳥居。 1747年(延享4年)に木製の鳥居が建立され、1821年(文政4年)に現在の青銅の鳥居が再建された。 鋳物師:粉川市正藤原国信、世話人:浅草新鳥越の八百屋善四郎、願主:新吉原の扇屋宇衛門、大黒屋勘四郎、松葉屋半蔵といった名が銘文に刻まれている。 寄進者の中には松葉屋の花魁(おいらん)代々山という名もある。 この鳥居から、瑞心門前の朱塗りの鳥居までが江島神社の門前町で、旅館、土産物屋、食堂などが並んでいる。  | 
          
|  「吉原」は、浅草にあった江戸唯一の幕府公認の遊廓。 1617年(元和3年)に日本橋に創立され、1655年(明暦3年)に浅草へ移転。 日本橋にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原は「新吉原」と呼ばれた。 青銅鳥居建立の世話人の八百屋善四郎(栗山善四郎)は、料亭「八百善」の四代目。  | 
      
|  鳥居には龍が施された「江島大明神」の額が掲げられているが、以前は「大弁財天」という額が掲げられていた。 鳥居をくぐらず、左の小路を入ると、民宿、魚屋、八百屋、釣り餌屋、食堂などが並ぶ昔ながらの町並みが残されている。  | 
      
| 江の島詣 | 
|  江戸時代、江の島詣が人気を集め、特に6年に一度の弁財天御開帳の年(巳年と亥年)には多くの参詣者で賑わったとのだとか。 浮世絵にも砂洲(トンボロ)を渡る多くの参詣者が描かれている。  | 
      


| その1:江の島弁天橋〜青銅鳥居〜辺津宮 その2:中津宮〜御岩屋道通り その3:奥津宮〜稚児ヶ淵〜岩屋  | 
                

|  江の島は、砂が堆積して湘南海岸と島とが陸続きとなった陸繋島。 鎌倉時代には源頼朝が弁財天を勧請。 江戸時代には、大山・江の島の二所詣が流行し賑わった島。  | 
          
| 江ノ電「江ノ島駅」から徒歩25分 小田急「片瀬江ノ島駅」から徒歩20分 湘南モノレール「湘南江ノ島駅」から徒歩27分  | 
          
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