鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉のアジサイ 鎌倉あじさい物語



鎌倉伝説集その8

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☆鳴かなくなった満福寺のコウロギ☆

 源頼朝の許しを得るべく、弁慶が腰越状の下書きをするために墨をすっていると、池のほとりでコウロギが鳴いていた。

 弁慶が「やめよ」と一喝すると静まったといわれる。

 以来、満福寺のコウロギは鳴かないそうである。


満福寺
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☆海中出現文殊菩薩☆

 1815年(文化12年)、腰越を流れる神戸川の上流からあやしい光が毎夜現れたという。

 最近、川で女の溺死体があがったことから、その亡霊だと噂された。

 それを耳にした日如上人は、女の霊を弔うため21日間に亘って経をあげたという。

 それからしばらくして、漁師権左衛門の息子文治が文殊菩薩像を釣り上げた。

 文治はそれを家に持ち帰ったが、家族が毎晩のようにうなされるようになったため、勧行寺に納めたという。


勧行寺
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☆江ノ島縁起☆

 昔、五つの頭を持つ龍が悪行を重ねていところ、弁財天が天から舞い降り、五頭龍を諭し悪行をやめさせた。

 五頭龍は天女に恋をし、天女は結婚を約束したという。

 藤沢の龍口山は、五頭龍が山に姿を変えてできたと伝わる。

 また、天女の天下りとともに出現した島が江ノ島と伝わる。


龍口明神社
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☆天女と青蓮寺☆

 護摩の修業のため鎌倉に来ていた空海(弘法大師)のもとに、天女が舞い降り力を貸してくれた。

 空海が無事に修行を終えると、天女から仏舎利(釈迦の骨)を授けられた。

 空海はそれを密教の法具に納めて一晩を過ごすと、池に青い蓮華の花が咲きそろっていたという。



☆鎖大師☆

 青蓮寺の本尊弘法大師像(鎖大師)は、もとは鶴岡八幡宮の供僧坊等覚院にあったが、神仏分離によって松源寺に移された。

 しかし、像がひとりで壽福寺へ行き、しばらく壽福寺に滞在していたが、青蓮寺の住職の夢枕に「迎えに来るように」とのお告げがあったので青蓮寺に移されたという。


青蓮寺
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☆男滝と女滝☆

 諸国を遍歴していた空海(弘法大師)は、今泉の地に辿り着いた。

 すると男女の仙人が現れ、不動明王を彫ることを空海に命じ、空海は不動明王と大黒天を彫り上げ、村人とともに祈りを捧げていたという。

 そこへ再び仙人が現れ「人々が水に困っている。不動明王にお願いしなさい」というので、岩肌に二つの穴を穿ち、三日間祈祷をすると、二つの穴から水が湧き出し、2本の滝になったとのだとか。

 それが男滝(おたき)と女滝(めたき)。

 今泉の奥には、今仙山(こんせんざん)という山があり、水が湧き出たことで今仙を今泉(こんせん)と書くようになり、さらに「いまいずみ」と読むようになったと伝わる。



☆江ノ島弁財天のお告げ☆

 武州深川の直誉蓮入という僧が江ノ島の弁財天からお告げを受け、稱名寺で祈祷を行ったところ、石像大黒天の俵からコメがこぼれ出し、以後、参詣者が跡を絶たなくなったという。

 蓮入と村人は、お礼に不動堂と阿弥陀堂を建立したという。


称名寺
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☆首抜け木像☆

 ある日、西念寺の人が木像の首をふろしきに包んで、顔の塗り替えのために江戸へ向かった。

 寺の人は品川で宿をとり、夕食後、首の入ったふろしきを女中に預けて散歩に出掛けた。

 ところが、その女中がふろしきの中を見てしまい、木像の首を「生首」と勘違いしてしまったから大変である。腰を抜かすものや、気絶してしまうものまで出て大騒ぎとなった。

 しばらくして、寺の人が散歩から帰ってきて、木像の首ということがわかり大笑いしたとのことである。


西念寺
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☆浪切不動尊☆

 空海が修行のため渡った唐からの帰りに嵐に遭い、船が沈みかけた。

 空海が不動明王に祈ったところ、不動明王が現れ、剣をはらうと、波が二つに割れ、船はその中を進んで、無事に日本へ帰えることができたという。

 そのため、多聞院の不動明王は 「浪切不動尊」と呼ばれるようになった。


多聞院
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☆政子の怒り☆

 源頼朝によって婿である木曽義高が殺されたことで、頼朝の娘大姫は大変傷つき、水さえも口にしないほど衰弱した。

 北条政子は義高を討った堀親家の家臣藤内光澄を引き出し首を斬ったということだ(参考:木曽義高の誅殺)。


常楽寺木曽塚
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☆視力を奪われた龍☆

 常楽寺の仏殿天井画は、狩野雪信作の「雲龍図」である。しかし、その目には光がない。

 昔、夜になると動き出したため、両目の視力を奪われた。



☆乙護童子☆

 蘭渓道隆の給仕役である乙護童子は、江ノ島弁財天のイタズラによって美女に変身させられてしまった。

 そうとは知らない童子は、道隆に仕えていたが、「道隆が美女をはべらせて寵愛している」という噂が広まってしまった。

 一連の成り行きを知った童子は、身の潔白を示そうとして、白蛇と化し、仏殿前の銀杏の木を七廻り半めぐり、仏殿わきの色天無熱池を尾で叩いたということだ。


常楽寺
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☆雨乞対決!忍性VS日蓮☆

 北条時宗は、極楽寺忍性に雨乞の祈祷を命じたが、雨は降らなかった。

 代わって、日蓮が「南無法蓮華経」と唱えると大雨が降ったと伝えられている。

 日蓮の田辺が池の雨乞伝説である(霊光寺)。

 参考:霊山山


霊光寺
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