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稲村ヶ崎の東側の山は「霊山」(りょうぜん)。稲村ヶ崎は、「霊山ヶ崎」とも呼ばれる。 霊山は、かつて極楽寺の境内となっていて、仏法寺(霊山寺)という極楽寺の支院もあった。 1333年(元弘3年)の新田義貞の鎌倉攻めにおいては、霊山が攻撃・防御の要衝となった。 義貞は、聖福寺に布陣し、陣鐘山から指揮をとったと伝えられている。 仏法寺跡は、平成14年度に発掘調査が行われ、平成18年には国の史跡に指定されている。 |
1271年(文永8年)、極楽寺の忍性と日蓮との雨乞い対決が行われた。 この年の鎌倉は旱りが続き、作物は枯れ、井戸も涸れるという状況だったという。 忍性は、8代執権北条時宗に雨乞いの祈祷を命じられ、弟子たちとともに雨乞いの修法を行ったが雨は降らなかった。 次いで日蓮が題目(南無妙法蓮華経)を唱え雨乞いをするとたちまち雨が降り始めたという。 日蓮の雨乞い伝説については、七里ヶ浜の田辺が池にも残されている。 |
1908年(明治41年)には、ドイツ人細菌学者ロベルト・コッホが弟子の北里柴三郎とともに霊山山を訪れている。 「霊山園」と呼ばれた公園があって、眺望の良さで知られている場所だったが、1923年(大正12年)に起きた関東大震災によって崖崩れが起こり山容が変わってしまったといわれている。 |
現在稲村ヶ崎にあるロベルト・コッホの記念碑は、北里柴三郎によってこの霊山山に建てられたもの。1983年(昭和58年)、鎌倉市医師会によってに霊山山から稲村ヶ崎に移転された。 |
1853年(嘉永6年)のアメリカ合衆国海軍艦隊が浦賀に来航したときには(黒船来航)、霊山山頂で坂ノ下の村民が交替で見張り番をしていたという。 |
稲村路と霊山山(okadoのブログ) 極楽寺から稲村ヶ崎へ(okadoのブログ) |
霊山ヶ崎下の平地は、計画造成された埋立地。 昭和24年、所有者である斎藤養之助氏から 埋立地の内の1万坪が鎌倉市に無償供与された。 現在も運営されている鎌倉海浜公園水泳プールはその土地に建設され、 昭和30年に開催された国体では、 天皇皇后両陛下、皇太子殿下、高松宮妃殿下が御臨席されています。 |
鎌倉海浜公園 |
水泳プール |
霊山ヶ崎下の平地は、計画造成された埋立地。 市営プールや憩いの広場(鎌倉海浜公園坂ノ下地区)となっている。 |
稲村ヶ崎は新田義貞の龍神伝説で知られている古戦場。 「光明寺裏山の展望」、「十王岩の展望」、「江ノ島稚児ヶ淵」とともに「かながわの景勝50選」に定められている。 |
稲瀬川から霊山ヶ崎(稲村ヶ崎)までの漁師の海岸。 |
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