鎌倉手帳(寺社散策)

聖福寺跡

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聖福寺跡碑
聖福寺跡碑


 聖福寺は、五代執権北条時頼が、関東の武運長久と二人の息子時宗、宗政の息災延命を祈願して創建した寺院。

 時宗の幼名聖寿丸の「聖」と、宗政の幼名福寿丸の「福」をとって聖福寺と名付けられたのだという。

 大勧進は鶴岡八幡宮別当で、時宗と宗政の安産祈願の祈祷を行った隆弁。

 隆弁の法号は「聖福寺殿」だったという。

 1333年(元弘3年)5月18日、鎌倉に攻め行った新田義貞は、5月20日、聖福寺に陣を張り、裏山に陣鐘を吊るして打ち鳴らしたと伝えられている(参考:鎌倉幕府の滅亡)。

 廃寺となった時期は不明。


 時頼は、息子の中でも次男時宗と三男宗政を大事にし、長男時輔は側室の子であったため、時宗と宗政を時輔より上位に置いていた。

 隆弁は鶴岡八幡宮園城寺の別当を務め、「鎌倉の政僧」と呼ばれていた。


鎌倉幕府滅亡

新田義貞の鎌倉攻め





〜藤沢に残された聖福寺の伝説〜

大庭:熊野神社
リンクボタン熊野神社
(藤沢・大庭)
聖ヶ谷の庚申塔
リンクボタン聖ヶ谷
(藤沢・大庭)

 『吾妻鏡』によれば、1254年(建長6年)4月18日の条には、聖福寺鎮守神の神殿の上棟式が行われたことが記され、その地は相模国の大庭御厨内と記されている。

 藤沢市大庭の熊野神社や聖ヶ谷は聖福寺跡であるとも伝えられてきた。



音無橋
音無橋

 聖福寺は、江ノ電「稲村ヶ崎駅」から海と反対方向に進み15分程度。
 七里ヶ浜の海へと注ぐ音無川の上流。

 昔は、源流近くに滝があって、砂山のため音がしないことから「音無滝」と呼ばれていたという。






正福寺公園
聖福寺跡

稲村ガ崎5丁目正福寺公園内


江ノ電で鎌倉



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