鎌倉手帳(寺社散策)

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佛 日 庵
〜円覚寺塔頭:開基塔〜

編集:yoritomo-japan.com








円覚寺佛日庵


 佛日庵(ぶつにちあん)は、八代執権北条時宗の廟所(開基塔)。

 九代執権貞時・十四代執権高時も合葬されている。

 檀那塔で塔頭とは違う性格をもっていたが、北条氏滅亡後、衰微していた佛日庵を鶴穏周音(かくいんしゅうおん)が再興して塔頭とした。

 開基廟(上の写真)には、僧の姿をした時宗貞時高時の木像坐像と時宗が信仰していたという十一面観音像が安置されている。

 『新編相模国風土記稿』によると、廟の下には3人の遺骨を納めた石櫃があると伝えられ、時宗の妻覚山尼の骨も納められているという。

 佛日庵は、時宗の才能にちなんで「学問の神」・「開運の神」として崇められてきた。


鎌倉観音巡礼第33番札所

鎌倉地蔵巡礼第14番札所









〜円覚寺創建と北条時宗〜

 円覚寺は、元寇(文永・弘安の役)によって死んだ兵達の菩提を弔うため、八代執権北条時宗によって創建された寺。

 時宗は、文永の役(1274年(文永11年))後に、戦没者の慰霊のために円覚寺建立を思い立ったといわれ、弘安の役の翌1282年(弘安5年)に無学祖元を招いて落慶供養を行った。

 円覚寺創建から間もない1284年(弘安7年)4月4日に亡くなり円覚寺に葬られた(法光寺殿杲公大禅定門)。



佛日庵
リンクボタン時宗公毎歳忌

 4月4日の命日には時宗公毎歳忌が執り行われる。



北条時宗


リンクボタン北条時宗の誕生と鶴岡八幡宮の隆弁

リンクボタン莫煩悩〜禅に求めた不動心:北条時宗と蒙古襲来〜





佛日庵本堂
本堂

 2007年(平成19年)に建てられた本堂。



佛日庵延命地蔵

 本尊の地蔵菩薩は、鎌倉地蔵巡礼第14番札所(延命地蔵)。





佛日庵・烟足軒
リンクボタン烟足軒

 茶室の烟足軒は、川端康成の小説『千羽鶴』の舞台となった。

 「円覚寺の境内に入ってからも、菊治は茶会へ行こうか行くまいか迷っていた・・・

 桃色のちりめんに白の千羽鶴の風呂敷を持った令嬢は美しかった・・・」



佛日庵・ハクモクレン
リンクボタンハクモクレン

 ハクモクレンは、中国の小説家・魯迅から贈られた株。



佛日庵・烟足軒
枝垂れ桜

 烟足軒前の枝垂れ桜は、大佛次郎の妻より贈られた株。

 大佛次郎は『帰郷』で境内の様子を

 「花びらの厚く豊かな木蓮の花と、明るい海の貝殻を無数に集めたように軽く爽やかな桜花の群がりようと、夕日を含んで、底光りするようにしっとりと輝いているのだ」

 と描いている。



佛日庵公物目録
リンクボタン佛日庵公物目録

 『佛日庵公物目録』は、中国から日本への文化の流入の歴史を探るうえで貴重な資料。

 11月の宝物風入のときに公開される。 



佛日庵・抹茶

 佛日庵では、緋毛氈の敷かれた縁台で抹茶をいただける。


報国寺休耕庵





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円覚寺の創建

北条時宗の命日〜時宗公毎歳忌〜









 禅宗では高僧の塔があるところを塔頭という。

 円覚寺塔頭は、その繁栄時には42院を数えたが、現在は19の塔頭が残されている。


リンクボタン円覚寺の塔頭





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円覚寺
リンクボタン円覚寺

 円覚寺は、八代執権北条時宗が宋の禅僧無学祖元を招いて開かれた。
 臨済宗円覚寺派大本山。
 鎌倉五山の第二位。


鎌倉市山ノ内409
0467(22)0478

JR北鎌倉駅下車すぐ



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