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『吾妻鏡』によると・・・ 1232年(貞永元年)7月10日、北条泰時は、評定衆11名に対し、政治の執行に私心がないことの起請文を作成させている。 評定衆11名は・・・ 中原師員 三浦義村 二階堂行村 (二階堂行政の子) 中条家長 (八田知家の養子) 三善康俊 (三善康信の子) 二階堂行盛 (二階堂行光の子) 後藤基綱 (後藤基清の子) 三善倫重 (三善康連の甥) 三善康連 (三善康信の子) 佐藤業時 (中原仲業の猶子) 斎藤長定 (藤原清定の子) そして・・・ この文書に北条泰時と北条時房が署名。 『箱根神社大系 下巻』によると・・・ 為政者としてこの世の道理を説いたもので、 「親しい間柄か否かで裁決すべきではなく、仲間であっても権力を恐れずに無欲であるべきであること」 などがその内容。 これに違犯したならば・・・ 梵天帝釈 四大天王 日本全国六十余州の天地の神、とりわけ伊豆山権現・箱根権現 三島大明神 八幡大菩薩 天満大自在天神 それらの眷属 の神罰・冥罰を受けるべきであるというもの。 |
※ | 仏法を崇め仏神に帰依すべきことは、御成敗式目の第1条に規定されている。 |
有罪か無罪か〜神仏に制約する起請文と起請失〜 |
伊豆山神社 (伊豆山権現) |
箱根神社 (箱根権現) |
古代からの霊地で伊豆の流人だった源頼朝が源氏再興を祈願した伊豆山権現と箱根権現。 それぞれ関八州総鎮護・関東総鎮守と称されている。 1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で焼かれてしまうが、北条氏滅亡後に関東移封となった徳川家康が再建している。 |
三嶋大社 |
鶴岡八幡宮 |
三嶋大社も源頼朝が信仰した社。 鶴岡八幡宮は源氏の氏神石清水八幡宮を勧請した社。 |
御成敗式目は、1232年(貞永元年)、三代執権北条泰時によって制定された武家の法典。 制定時期と寛喜の大飢饉の時期が重なっていることから、飢饉の影響を受けているとの説もある。 また、泰時が承久の乱後に帰依した栂尾高山寺の明恵の思想が強く影響しているとも言われる。 |
北条泰時と栂尾高山寺の明恵 北条泰時の集団指導制・合議政治〜連署と評定衆〜 |
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