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| 花山天皇は、冷泉天皇の第一皇子。 母は摂政太政大臣・藤原伊尹の娘・懐子。 1008年(寛弘5年)2月8日、花山院で崩御(41歳)。 2月17日葬送。 『日本紀略』によると、葬られた地は法音寺の北。 その所在は不明だったが、幕末に現在地に治定された。 |
| 法音寺は、花山天皇(花山法皇)の勅願寺。 「山城名勝志」によると、法音寺は大北山の施無畏寺跡の南にあったのだという。 |
| 花山天皇は、寵愛していた藤原忯子の死をきっかけに、986年( 寛和2年)6月23日、藤原兼家・道兼父子の策略にあって、山科の元慶寺で出家した。 |
(宝塚市) |
(中山寺の石棺) |
| 出家後は法皇となり、西国観音霊場巡礼の開祖・徳道が中山寺の石棺(石の櫃)に納めた宝印を探し出し、三十三の観音霊場を巡礼。 西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれている。 |
(三田市) |
(三田市) |
| 花山院菩提寺は花山法皇が隠棲した地で、境内には花山法皇の御廟がある。 |
| 出家した花山天皇は、花山院を御所とした。 |
| 京都市北区衣笠北高橋町 |
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