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向かって左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂。 右が普賢菩薩を本尊とする法華堂。 同形の2棟の建物が廊下でつながり、弁慶が廊下に肩を入れて担いだという伝説が残されていることから「にない堂」とも呼ばれる 1595年(文禄4年)の建築物で重要文化財。 |
常行堂 |
法華堂 |
かつで常行堂にあった阿弥陀如来は、戒算によって一条天皇の生母・藤原詮子の離宮に安置されたのだという。 それが東山の真如堂の始まりで、阿弥陀如来像は「うなずきの弥陀」と呼ばれている。 |
真如堂や鎌倉の光明寺で催される「お十夜」で唱える「引声念仏」は、慈覚大師円仁が唐から比叡山に伝えたものといわれ、常行堂で「引声念仏」が行われたのだという。 |
真如堂 |
お十夜 |
〜「見立て」の思想で造営された上野寛永寺〜 |
江戸城の鬼門の守護として天海が開いた上野寛永寺は、比叡山や清水寺をはじめとする京都周辺の寺社を模して造営されたのだという(見立ての思想)。 寛永寺の根本中堂前にあった法華堂と常行堂も高廊下で繋がれていたのだという。 |
東叡山は寛永寺の山号で「東の比叡山」という意味がある。 |
〜慈覚大師円仁の来山があったという日光山輪王寺〜 |
山岳信仰の聖地として栄えた輪王寺は、円仁が来山したことにより天台宗寺院となったのだという。 |
輪王寺の常行堂は、円仁が「にない堂」を模して建立したと伝わる。 |
比叡山山内は東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)という地域があり、そこにある堂塔の総称を延暦寺という。 |
延暦寺は天台宗の総本山。 |
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