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1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めによって鎌倉幕府は滅亡し、北条高時をはじめとする北条一族は、東勝寺で自刃したと伝えられています。 宝戒寺の「徳崇大権現会」は、北条一族慰霊供養の祭事で、鎌倉幕府が滅亡した5月22日に行われます。 宝戒寺は後醍醐天皇が北条一族を弔うため、足利尊氏に命じて建てさせた天台宗の寺。 開山は後醍醐天皇の帰依を受け、東大寺の大勧進職にもなった円観慧鎮。 宝戒寺のある場所には、代々の執権館がありました。 |
徳崇大権現会 |
境内の徳崇大権現堂に祀られている北条高時像が輿に乗って本堂に迎えられ、「大般若経転読会」が行われます。 大般若経の正式名称は「大般若波羅蜜多経」。 三蔵法師玄奘がインドから持ち帰ったものを翻訳したもので、600巻にもおよびます。 この大般若経を複数の僧侶が、経典1巻1巻を流し読むことを「転読」といいます。 大般若経転読会が終わると、北条高時像ももとの徳崇大権現堂に戻ります。 |
1333年(元弘3年)5月21日、新田義貞は、稲村ヶ崎を突破し、鎌倉に攻め入ります。 鎌倉に入った義貞は、材木座の九品寺に陣を布き、幕府北条軍を追いつめたといわれています。 材木座にある鎌倉十橋の一つ乱橋は、北条軍が乱れはじめた場所とされ、弁谷には、北条高時の御内人長崎高重の伝説が残されています。 翌22日、東勝寺では、高時ら北条一族870余人が自刃して果てたと伝えられています。 5月22日という日は、北条高時の命日であるとともに、鎌倉幕府が滅亡した日ということになります。 |
生品神社は、新田義貞が倒幕の挙兵をした所。 新田義貞像は、稲村ヶ崎で龍神に祈り、太刀を海に投じる光景を表したもの。 |
鎌倉市小町3−5−22 鎌倉駅東口より徒歩15分 |
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