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山近き 入相の鐘の 声ごとに 恋ふる心の 数は知るらむ |
「山に近い寺の夕暮れ鐘の一声ごとに、そなたを恋しく思う私の思いの数を知っているだろうに。 それなのに長い参籠だこと」 清少納言が清水寺に参籠したときに、藤原定子が文に書いて贈ってきた歌。 適当な紙を持ち合わせていなかった清少納言は、紫の蓮の花びら(散華用の紙)に返歌を書いたのだとか。 |
清水寺は、清少納言・紫式部・赤染衛門などの女流文学者が信仰した観音霊場。 |
春はあけぼの~藤原定子と清少納言と枕草子~ |
桜は中宮・藤原定子!~清少納言が描いた桜は、散らない桜!~ |
清少納言が仕えた藤原定子は、1000年(長保2年)12月16日崩御。 陵墓は鳥戸野陵。 |
清少納言歌碑 (泉涌寺) |
今熊野観音寺 |
清少納言は、晩年、定子の眠る鳥辺野近くの東山月輪に隠棲したのだという。 東山月輪に建てられた泉涌寺には清少納言歌碑が建てられている。 清少納言の父・清原元輔の邸宅は、泉涌寺の塔頭・今熊野観音寺付近にあったといわれる。 |
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