|
さくらがり 雨はふり来ぬ おなじくは 濡るとも 花の陰にやどらん |
「花見に行ったが雨が降ってきた。同じ濡れるなら花の陰で雨宿りをしよう」 藤原実方が東山で催された花見に出かけた時に詠んだ歌。 心ない雨が降り、他の者が大騒ぎする中、桜の木の下に身を寄せてこの歌を詠んだのだという。 その風流さは、藤原斉信が一条天皇にも伝えたのだが・・・ それを聞いた藤原行成には、 「歌の趣向としては面白いが、それを実行するのは愚か者だ」 と言われたのだとか。 『撰集抄』と『十訓抄』によると・・・ 行成に「愚か」と言われて恨んでいた実方は、行成の冠を投げ捨てる事件を起こし、陸奥守に左遷されたらしい・・・ |
陸奥守に左遷の藤原実方と蔵人頭に昇進の藤原行成の逸話 |
995年(長徳元年)、陸奥守に任じられた藤原実方は、陸奥国府が置かれていた多賀城に赴任。 |
赴任から3年後の998年(長徳4年)12月13日、実方は佐具叡神社の神罰で死去したと伝えられている。 里人に「下馬して参拝してから通るように」と言われていたにもかかわらず、乗馬のまま通って落馬したのだとか。 佐具叡神社の跡地には藤原実方の墓が建てられている。 都に未練を残したまま亡くなった実方は、死後、雀となって都に戻ったという伝承がある。 |
雀塚は藤原実方の供養塔。 勧学院の観智上人の夢の中に雀が現れて、実方だと名乗り、自分の為に読経をしてほしいと頼んだのだという。 翌朝、その雀が死骸が見つかり、観智上人は雀塚を建てて実方を供養したのだとか。 勧学院に建てられた実方の雀塚は、勧学院を前身とする更雀寺に移されている。 |
入内雀・実方雀~雀となって都に現れた藤原実方~ |
上賀茂神社の末社橋本神社には実方が合祀されているらしい。 『徒然草』によると、死後、その霊が御手洗川に映ったのだとか。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|