紫式部「光る君へ」


紫式部の歌
~藤原詮子と藤原宣孝の死を悲しむ歌~


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 雲の上の
 もの思ふ春は
 墨染に
 霞む空さへ
 あはれなるかな


 「東三条院が崩御されたため悲嘆にくれている春は、薄墨色に霞む空までも悲しく感じられる」

 紫式部は、1001年(長保3年)4月25日に夫・藤原宣孝と死別。

 同年閏12月22日には、藤原道長の姉で一条天皇の生母・藤原詮子が崩御。

 この歌は、翌年、薄鈍色の喪服を着ていた紫式部のところへ宮中からの使いがやってきて贈られた歌。

 「夫を亡くしたあなたも、この空を同じ思いで見ていらっしゃることでしょう」

 という意味が込められているらしい。



 なにかこの
 ほどなき袖を
 ぬらすらむ
 霞の衣
 なべて着る世に


 「女院が崩御されて国中の人が喪服を着ているときに、夫の死を悲しんではいられません」

 紫式部の返歌。





宇治陵
リンクボタン宇治陵

 1001年(長保3年)閏12月22日、藤原行成の屋敷で崩御した藤原詮子は、鳥戸野陵で火葬された後、宇治陵に葬られた。

 参考までに・・・

 紫式部の異母弟・定暹は、延暦寺の僧として詮子の追善供養に出仕している。



リンクボタン藤原詮子の晩年 ~平惟仲邸が御所・藤原行成邸で崩御~





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