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筋 違 橋
〜鎌倉十橋〜

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鎌倉十橋・筋違橋


 鎌倉十橋の一つ「筋違橋」(すじかえばし)は、六浦(金沢)から鎌倉へ向かう六浦道(金沢街道)の突き当りあった。

 筋違橋からは、若宮大路と並行する小町大路が走り、宝戒寺前からは鶴岡八幡宮の南を走る横大路に接している。

 名の由来は、「く」の字に架かっていたためといわれる。

 石碑には「筋替橋」と記されている。

 1213年(建暦3年)の泉親衡の乱では、親衡が付近に隠れていたと伝えられ、その後に起こった和田合戦では、幕府軍の足利義氏が勇猛な武将として知られる和田義盛の三男朝比奈義秀と遭遇し、鎧袖を引きちぎられながら逃れたという伝説が残されている。

 1247年(宝治元年)の宝治合戦では、第五代執権北条時頼と外祖父の安達景盛がこの橋から有力御家人三浦泰村を攻めたのだという。

 この戦いにより源頼朝以来幕府に仕えた三浦氏が滅んだ。

 1265年(文永2年)には、鎌倉の商人が営業できる地域を大町・小町・魚町・大倉辻など9カ所とすることが定められ、その中に「須地賀江(すじかえ)橋」が入っている(参考:商人に関する規制)。


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筋違橋標
橋標

筋違橋標

 橋標には・・・
 「東北方源頼朝邸址」
 「南約一町北条邸址 現今宝戒寺」
 と刻まれている。 

筋違橋



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筋違橋

鎌倉市小町・宝戒寺の先

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