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東寺(教王護国寺)の南大門(なんだいもん)は、1895年(明治28年)に三十三間堂の西門(1601年(慶長6年)創建)が移築されたもの(国重文)。 幅約18メートル、高さ約13メートル。 南大門を入ると金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へと一直線に並ぶ。 この伽藍配置は平安時代からのもの。 これ以前の南大門は、1868年(明治元年)に鎮守八幡宮・八島社とともに焼失した。 |
1191年(建久2年)、源頼朝は、荒廃していた東寺再興のため活動していた文覚の要請を受け、南大門に銭十万疋を寄進している。 1197年(建久8年)、運慶は文覚の依頼により東寺の諸像修復を手掛けるが、翌年に建立された南大門の金剛力士像は運慶が造立したものだったのだという。 |
方広寺は、1595年(文禄4年)に豊臣秀吉が松永久秀の焼き討ちにより焼損した東大寺の大仏に代わる大仏の造立を発願して創建した寺院。 方広寺が建立されると三十三間堂や後白河天皇法住寺陵もその境内に含まれた。 東寺の南大門は、方広寺の西大門として建立されたもの。 |
三十三間堂の南大門は、方広寺の南大門として建てられたもの。 |
東寺(教王護国寺)は、桓武天皇によって平安京鎮護の官寺として創建された。 のちに弘法大師に下賜され、我が国初の密教寺院となった。 |
京都市南区九条町1 JR京都駅八条口から徒歩15分 近鉄「近鉄東寺駅」下車徒歩10分 |
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