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国指定史跡
鎌倉大仏殿跡


編集:yoritomo-japan.com







鎌倉大仏


 「露坐の大仏」として知られる鎌倉大仏だが、かつては、東大寺の大仏と同じように大きな大仏殿の中に安置されていた。

 鎌倉大仏の周囲に置かれている53個の巨大な石は、その礎石として使用されたもの。

 大仏殿は高さ40メートルを超す巨大な建物だったと推測されている。

 平成12年から行われた発掘調査では、礎石の根固め遺構や大仏の鋳造過程を示す遺構が確認された。

 2004年(平成16年)2月27日には、「鎌倉大仏殿跡」として国の指定史跡となっている。


リンクボタン奈良の大仏と鎌倉の大仏

リンクボタン東大寺大仏殿



鎌倉大仏殿礎石
大仏殿礎石


 大仏殿は、度重なる災害等で倒壊するが、その度に再建されてきたという。

 しかし、1495年(明応4年)8月15日に発生した「明応の大地震」によって大仏殿が崩壊し、鎌倉大仏は露坐となったと伝えられている(『鎌倉大日記』の記述)。

 『鎌倉大日記』は、この地震での溺死者は200人と伝えている。


 『妙法寺記』では、大仏殿が崩壊したのは1498年(明応8年)8月25日の出来事と記している。

 1486年(文明18年)、鎌倉を訪れた万里集九は、このときすでに鎌倉大仏は露坐であったと『梅花無盡蔵』に記している。


鎌倉大仏殿礎石



〜北条時行の反乱と大仏殿〜
(中先代の乱)

 1335年(建武2年)、新田義貞によって滅ぼされた北条高時の遺児時行が反乱を起こして鎌倉に攻め入った(参考:中先代の乱)。

 そのとき暴風雨に襲われたため大仏殿に避難したが、棟梁が折れ兵士500人が圧死したと伝えられている。


北条得宗家の滅亡〜最後の得宗北条時行〜(okadoのブログ)






鎌倉大仏
リンクボタン高徳院(鎌倉大仏)

 鎌倉大仏は、中国の宋朝様式の中にも日本風の意匠が認められる傑作。
 昭和33年2月8日、国宝に指定されている。


鎌倉市長谷4−2−28
0467(22)0703

江ノ電「長谷駅」から徒歩10分


鎌倉大仏建立伝説

江ノ電







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