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| 次の文の[ @ ]、[ A ]に最も適当な語句を書きなさい。 ただし、[ @ ]、[ A ]両方できて正解とする。 |
| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 源氏と鎌倉の関係は、[ @ ]が父頼信とともに、房総で起こった[ A ]の乱を平定したことから、平直方の女婿に迎えられ、鎌倉を譲られたことに始まる。 |
| 父頼信とともに平忠常の乱を鎮圧した源頼義。 平直方は、頼義の武勇に感心して、娘婿に迎え、鎌倉の領地を譲ります。 これにより、鎌倉と河内源氏の縁が始まりました。 平直方は、のちに源頼朝の挙兵に協力する北条時政の先祖なのだとか・・・ |
| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 『吾妻鏡』によると、1186年(文治2)、源頼朝・北条政子夫妻は鶴岡八幡宮で、源義経の愛妾で白拍子の[ @ ]の舞をみる。その伴奏は工藤祐経が鼓を打ち、[ A ]が銅拍子を担当したという。 |
| 1186年(文治2年) 4月8日、鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露した源義経の愛妾静御前。 静は、義経を慕う今様(いまよう・歌謡)にあわせて舞います。 工藤祐経が鼓を畠山重忠が銅拍子を担当しました。 |
| 答 |
| @ 静(御前) A 畠山重忠 |
| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 富士の巻狩のとき、[ @ ]兄弟(十郎祐成。五郎時致)が父の仇である工藤祐経を討つ事件がおこった際、[ A ]は兄頼朝に対する謀反を疑われて伊豆に流され、後に殺された。 |
| 1193年(建久4年)5月28日、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りで起こった曽我兄弟の仇討ち。 鎌倉には「頼朝も討たれた」という誤報が伝わり、心配する北条政子に頼朝の弟・源範頼は「私がいるから心配ない」と発言。 それが謀反を疑われる原因になったのだといいます。 |
| 答 |
| @ 曾我(曽我) A 源範頼 |





| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 現在は碑のみが残される[ @ ]は、源頼朝が1185年(文治元)に父義朝の供養のために、雪ノ下の[ A ]に創建したといわれる。 |
| 1185年(文治元年)、源頼朝は、父源義朝の菩提を弔うために勝長寿院を建立しました。 後白河法皇から送られた義朝と、義朝に仕えた鎌田政長(政清・政家)の首を葬り、追善の法会を行っています。 |
| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 由比ヶ浜通りの[ @ ]バス停近くの十字路を[ A ]という。江戸時代の古地図から推定すると、鎌倉には[ A ]が7ヵ所あったとされるが、現在ではここだけが残っている。 |
| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 北条早雲(伊勢宗瑞)は、[ @ ]氏に対抗する前線基地として、鎌倉に[ A ]城を築いた。その後、規模は拡大されて、北条氏の防御拠点となった。 |
| [ A ]は漢字で書きなさい。 |
| 鎌倉が別荘地・保養地として全国的に知られるようになったのは、明治政府がドイツから招いた医学者[ @ ]が、鎌倉を最適な保養地として欧米に紹介したり、日本の衛生行政の充実に貢献した医学者[ A ]が海水浴場として理想的な海として推奨したりしたことがきっかけの1つとされる。 |
| 答 | |
| @ | エルウィン・ベルツ(またはベルツ) |
| A | 長与専斎 |
| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 手広の[ @ ]寺は別名「鎖大師」と呼ばれるが、その由来は本尊の木造[ A ]坐像の両足の関節が、鎖のような細工のため自在に動かせるようになっていることにある。 |
| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| [ @ ]寺本堂の薬師如来像は行基の作、脇侍の日光・月光菩薩像は仏師運慶の作で、地蔵像は弘法大師の作とされる。また、この寺には、平家滅亡のおり平宗盛が最期まで持っていたものと伝えられる、平家の[ A ]が保存されている。 |
| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 浄智寺の鐘楼門は2階に花頭窓のある[ @ ]様で珍しく、総門近くには鎌倉十井の1つ[ A ]がある。 |
| 答 |
| @ 唐または中国または禅宗 A 甘露ノ井 |
| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 材木座の「 @ 」寺は、「 A 」が鎌倉に建立した唯一の寺で、北条方の戦死者を弔うため、鎌倉攻めの本陣の跡に建てたとされる。その直筆の額は本堂に保存されており、山門と本堂にはその写しが掲げられている。 |

| [ @ ]、[ A ]ともに漢字で書きなさい。 |
| 植木の[ @ ]寺の名の由来となった[ @ ]院は、江戸幕府2代将軍[ A ]の祖母で、大奥で御年寄役を務めた後、晩年、この地に隠居した。徳川ゆかりの寺であることを示すために、本堂の大棟には葵の家紋がある。 |
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