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北畠顕家は、『神皇正統記』で知られる北畠親房の子。 「風林火山」の旗印を用いたことで知られている。 1335年(建武2年)、足利尊氏が中先代の乱を鎮圧し、後醍醐天皇から離反した頃、顕家は陸奥守として後醍醐天皇の皇子義良親王を奉じ、東北地方を治めていた。 |
1335年(建武2年)12月、新田義貞を破って京に入った足利尊氏は、翌年1月、陸奥から尊氏を追ってきた北畠顕家に蹴散らされて九州に逃れるが・・・ 1336年(建武3年)6月には勢力を盛り返し、持明院統の光厳天皇を奉じて再び京に入って室町幕府を開いた(参考:文保の和談)。 これに対し、後醍醐天皇は吉野に南朝を興している。 1337年(建武4年)12月、吉野の後醍醐天皇の命を受けた北畠顕家は、義良親王を奉じ、京を奪還するため陸奥から再び西上。 12月23日、朝夷奈切通から鎌倉に侵入した顕家軍は、杉本城の斯波家長を破って鎌倉を攻略した(杉本城落城)。 鎌倉を守っていた尊氏の嫡男義詮は敗走し、安房に逃れた。 鎌倉を攻略した顕家は、翌年正月2日には鎌倉を発ち、幕府軍と戦いながら西上するが、5月22日、高師直の軍に敗れ討死にした(石津の戦い:21歳)。 この年、新田義貞も敗死している。 |
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如意輪寺は、後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた際に勅願所とした寺。 |
杉本城は、杉本義宗(三浦大介義明)の長男が築いた城で、杉本寺の上にあった。 |
鎌倉市二階堂903 0467(22)3463 鎌倉駅から金沢八景・大刀洗行・ハイランド循環バス 「杉本観音」下車 |
60年に一度の祭礼![]() |
源頼朝も祀る! |
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