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| 池月(いけづき)は、源頼朝が愛用の名馬。 1180年(治承4年)、伊豆で源氏再興の挙兵をした源頼朝は、石橋山の戦いに大敗。 その後、真鶴から安房国へと渡り、千葉常胤、上総広常らの武将を従えて鎌倉へと向かいました。 その途中、洗足池の畔に宿営した際に頼朝の前に現れたのが、青い毛並みで白の斑点を浮かべた池月だったのだとか。 |
| 青馬は邪気を除く |
| 古代日本の宮中では、1月7日に白馬(あおうま・青馬)を天皇の御前に引き出して天覧に供する「白馬節会」が行われていました。 この行事は、年頭に七頭の白馬(青馬)を見ると年中の邪気を除くとされる古代中国の故事がもとにしたもの。 青馬が用いられていたため「青馬節会」と表記されていましたが、平安中期頃から白馬が用いられるようになり「白馬節会」と表記されるようになったのだとか。 京都の上賀茂神社では「白馬奏覧神事」(はくばそうらんしんじ)、大阪の住吉大社では「白馬神事」(あおうましんじ)が行われています。 |
| 池月は、後に佐々木高綱に与えられ、同じく頼朝愛用の名馬 磨墨と宇治川の先陣争いで活躍。 頼朝の再起を支え、高綱に愛された名馬には「開運招福の御利益」がありそうです。 |
| 池月が現れた洗足池に鎮座するのが、源氏の氏神・八幡神を祀った千束八幡神社。 頼朝が祈願したことから、「出世開運」「武運長久」「勝ち運」の御利益がありそうです。 |
| 池月は、高綱館があった鳥山の地で余生を過ごしたのだといいます。 高綱は、池月の霊を慰めるために駒形明神を建てたと伝えられていますが、今はなく、その代わりに馬頭観音堂が残されています。 |




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