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宝 蔵
京都:東寺(教王護国寺)

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東寺宝蔵


 宝蔵は、平安後期建立で校倉(あぜくら)造。

 東寺(教王護国寺)最古の建造物で重要文化財。

 創建当初は南北に2棟あって、弘法大師(空海)が唐の恵果国師から授かった密教法具や経巻などが納められていたという。

 1000年(長保2年)と1126年(大治元年)に焼失し、1198年(建久9年)に文覚によって再建されたものが現存する宝蔵とされてきたが、解体修理の結果、東寺創建時に近い建造物であると考えられている。





〜宝蔵の仏舎利が盗まれる〜

 『吾妻鏡』によれば、1216年(建保4年)2月5日、東寺の宝蔵に盗賊が入り、仏舎利や仏教道具を盗んでいった。

 9日には五畿七道に盜人を探し出すよう宣旨が下され、

 「舎利は釈尊の身の一部、仏具はインドから中国、そして日本へと伝えられた三国伝来の霊宝。

 これらが盗まれたことで、仏法が衰退して、国家を守る力が失われる」

 と書かれていたのだという。

 その宣旨は、2月19日に鎌倉にも届き、源実朝三善善信に朝廷の命令を御家人に伝えるよう命じている。

 幸い、2月29日に東山の新日吉社付近で藤原秀能と藤原秀康が盗人を捕獲。

 仏舎利と仏教道具は、3月9日に東寺に返されたのだという。


藤原秀康は、のちの承久の乱後鳥羽上皇側の大将軍となる。





〜仏舎利信仰と実朝〜

円覚寺舎利殿
リンクボタン円覚寺舎利殿
(鎌倉)

 日本では仏教伝来後、仏舎利信仰が広まっていった。

 源実朝も仏舎利信仰者で、宋国より仏舎利を請来している。

 現在、円覚寺舎利殿に祀られているのが、その仏舎利なのだという。


リンクボタン宋に憧れた将軍〜源実朝の唐船建造・渡宋計画〜

リンクボタン源実朝が請来した仏舎利の伝説
(円覚寺舎利殿の仏舎利)





〜永仁の徳政令〜
(世界記憶遺産「東寺百合文書」)

 1297年(永仁5年)3月6日、九代執権北条貞時が発した「永仁の徳政令」は、わが国最初の「徳政令」といわれ、「東寺百合文書」(とうじひゃくごうもんじょ・国宝)の中にその条文が伝えられている。

 「東寺百合文書」は、1000年以上にわたって東寺に伝承した約2万5千通におよぶ寺院文書で、宝蔵に納められていた(京都府立総合資料館保管)。


〜越訴并質券売買地利銭出挙事〜

東寺百合文書(世界記憶遺産)


東寺百合文書(世界記憶遺産)


 1297年(永仁5年)7月22日、北条貞時(連署・北条宣時)が六波羅探題に就任していた大仏宗宣(南方)と北条宗方(北方)に宛てた書状。

 ※東寺百合文書WEB(京都府立総合資料館)より


リンクボタン永仁の徳政令


永仁の徳政令と世界記憶遺産・東寺百合文書(okadoのブログ)








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東寺(教王護国寺)
リンクボタン東寺(教王護国寺)

 東寺(教王護国寺)は、桓武天皇によって平安京鎮護の官寺として創建された。
 のちに弘法大師に下賜され、我が国初の密教寺院となった。


京都市南区九条町1

JR京都駅八条口から徒歩15分
近鉄「近鉄東寺駅」下車徒歩10分



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