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妙本寺を創建したという比企能本は、源頼朝の重臣比企能員の末子。 1203年(建仁3年)、比企一族が滅ぼされた比企の乱が起こったときは2歳だった。 比企の乱後、出家して京都で順徳天皇に仕え、承久の乱で配流となった順徳天皇の供をして佐渡にあったが、姪の竹御所(二代将軍源頼家の娘)が四代将軍藤原(九条)頼経の妻となったことから許されて鎌倉に戻った。 1253年(建長5年)、日蓮の俗弟子となって、1260年(文応元年)、法華堂を建立し一族の菩提を弔ったといわれ、これが妙本寺の前身であると伝えられている。 その後、1274年(文永11年)に長興山妙本寺となった。 |
※ | 腰越の本龍寺は、比企高家の屋敷を寺としたといわれているが、高家と能本は同一人物ではないかともいわれている。 |
妙本寺は、源頼朝の御家人比企能員の邸跡に能員の末子能本が建てた寺。 この地で有力御家人比企氏が滅亡し、二代将軍源頼家の嫡子一幡が焼け死んだ(参考:比企氏の乱)。 |
鎌倉市大町1−15−1 0467(22)0777 鎌倉駅東口から徒歩8分 |
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