鎌倉手帳(寺社散策)

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柳沢吉里の男子二人の墓
〜甲府東光寺〜

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柳沢吉里の男子二名の墓


 柳沢吉里は、徳川五代将軍綱吉の側用人だった柳沢吉保の嫡子。

 父の吉保は、1704年(宝永元年)、甲府城主になると恵林寺を再興。

 恵林寺には吉保夫妻の墓が建てられている。

 嫡子の吉里は、1710年(宝永7年)、甲府城に入城。

 それまでの甲府藩主は、国元で直接藩政に携わることはなかったが、この時はじめて藩主が国元に入った。

 禅宗に帰依した吉里は、東光寺に白銀百枚を寄進して大修復を行っている。

 東光寺の柳沢家の廟所には、早世した吉里の男子二人の墓がある。





甲府城
リンクボタン甲府城

 甲府城は、織田・徳川連合軍による甲州征伐で武田氏が滅亡した後、甲斐国を統治するために築かれた城。



柳沢吉保夫妻の墓
リンクボタン柳沢吉保夫妻の墓
(甲州市:恵林寺)

 恵林寺は武田武田信玄の菩提寺。

 柳沢吉保と妻の墓塔は、吉保が1708年(宝永5年)に菩提寺として建立した黄檗宗永慶寺にあったもの。

 永慶寺は、吉里が1724(享保9年)に大和郡山へ移封された際、郡山城下に移転。



大和郡山は金魚の町

 大和郡山市の金魚養殖は、吉里の家臣が甲府から持ち込んだ金魚に始まる・・・










甲府東光寺
リンクボタン東光寺

 東光寺は、鎌倉時代に蘭渓道隆が禅宗寺院とした古刹。
 戦国期には武田信玄によって定められた甲府五山の一つとなった。


山梨県甲府市東光寺3−7−37

JR中央線・酒折駅より約徒歩20分
JR身延線・善光寺より約徒歩15分



武田信玄をめぐる甲府
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