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永慶寺(えいけいじ)は、1705(宝永2年)、甲府藩主の柳沢吉保が甲斐国に創建した柳沢家の菩提寺。 創建当初は穏々山霊台寺という臨済宗の寺だったが、1708年(宝永5年)、黄檗宗大本山萬福寺八世の悦峯道章を招聘し、龍華山永慶寺と改められたのだという。 1724年(享保9年)、二代藩主の柳沢吉里(吉保の子)が大和国郡山藩に移封されたことに伴ない、菩提寺の永慶寺も郡山に移転された。 本尊は釈迦三尊。 仏間に置かれている柳沢吉保と夫人坐像は、甲府の仏師・大下浄慶(常慶)とその子息の作(市指定文化財)。 浄慶は甲斐国の恵林寺の武田不動明王を制作した京の仏師・康清の子孫といわれる。 |
永慶寺の山門は、郡山城の城門を移築したもので市指定文化財。 |
甲斐は、戦国大名武田信玄が支配していた国。 永慶寺が創建されたのは現在の甲府市岩窪町。 信玄の躑躅ヶ崎館の麓で、付近には信玄の墓(火葬塚)や信玄の継室・三条夫人の菩提寺・円光院があった。 柳沢氏は河内源氏の庶流で武田氏一門。 柳沢吉保が甲府城主となったのは1704年(宝永元年)。 ただ、吉保は甲府城に入ることはなく、直接藩政に携わることはなかった。 嫡子の吉里は1704年(宝永元年)に甲府藩主となり甲府城に入城。 それまで国元で直接藩政に携わることはなかった藩主がはじめて国元に入った。 甲府五山のひとつ東光寺の柳沢家の廟所には、吉里の男子二人の墓がある。 |
恵林寺の柳沢吉保の墓は、甲斐国の永慶寺にあったもので、夫人の墓も真光院にあったもの。 1724年(享保9年)、柳沢家は大和郡山に移封となり、甲斐国での寺領安堵の朱印状が得られなかった永慶寺も移転するが、吉保夫妻の墓は恵林寺に改葬されている。 |
大和郡山城は、豊臣秀長が100万石の大名として入城し、豊臣政権の畿内統治の拠点となった城。 |
大和郡山城の本丸跡にある柳澤神社は、柳沢吉保を祀る社。 |
大和郡山市の金魚養殖は、吉里の家臣が甲府から持ち込んだ金魚に始まる・・・ |
奈良県大和郡山市永慶寺町5−76 近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩10分 |
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