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大和郡山城の本丸跡にある柳澤神社は、1880年(明治13年)に創建された柳沢吉保を祀る社。 当初は二の丸跡にあったが1882年(明治15年)に本丸跡へ移転。 |
柳沢吉保は、柳沢家における初代郡山藩主・柳沢吉里の父。 徳川五代将軍綱吉の側用人として幕政を主導。 1694年(元禄7年)には武蔵国の川越藩主となり老中に準ずる老中格に就いた。 1704年(宝永元年)には甲斐国の甲府藩主となるが、1714年(正徳4年)11月2日死去。 |
柳沢氏は、甲斐源氏一条氏の後裔を称した甲斐青木氏の支流。 一条氏は、甲斐武田氏初代当主武田信義の次男一条忠頼が甲斐国山梨郡一条郷(現在の山梨県甲府市)を領して一条氏を称したことに始まる。 1184年(元暦元年)、源頼朝の甲斐源氏粛清により、忠頼は謀殺され、一条氏は一時断絶するが、弟の武田信光の子・信長により再興されている。 青木氏は信長の曾孫にあたる一条時光を祖とし、柳沢氏は戦国期に武田信虎に仕えた青木信定を祖としているのだという。 |
柳沢家の菩提寺・永慶寺は、柳沢吉保が甲斐国に創建した寺。 1724年(享保9年)、吉保の子吉里が大和郡山に移封になると、永慶寺も移転された。 |
甲府城は、織田・徳川連合軍による甲州征伐で武田氏が滅亡した後、甲斐国を統治するために築かれた城。 もとは一条忠頼の居館があった地。 柳沢吉保の子吉里は、甲府藩主としてはじめて甲府城に入城している。 |
恵林寺の柳沢吉保の墓は、甲斐国時代の永慶寺にあったもので、夫人の墓も塔頭の真光院にあったもの。 |
大和郡山城二の丸跡の柳澤文庫には、柳沢家歴代藩主の書画をはじめとする多くの歴史資料が保存されている。 |
大和郡山市の金魚養殖は、吉里の家臣が甲府から持ち込んだ金魚に始まる・・・ |
大和郡山城は、豊臣秀長が100万石の大名として入城し、豊臣政権の畿内統治の拠点となった城。 奈良県大和郡山市城内町 近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩7分 JR郡山駅から徒歩15分 |
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