中世歴史めぐり


永慶寺の山門
大和郡山城の遺構


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永慶寺山門


 永慶寺の山門は、郡山城の南御門を移築したもので、豊臣秀長の時代に建てられた門とされている。

 秀長の時代の郡山城の建物のほとんどは、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後、徳川家康によって伏見城二条城に移築されてしまったというが、永慶寺の山門は唯一残されたの建物。

 市指定文化財。





大和郡山城
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 大和郡山城は、豊臣秀長が100万石の大名として入城し、豊臣政権の畿内統治の拠点となった城。










永慶寺
リンクボタン永慶寺

奈良県大和郡山市永慶寺町5−76

近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩10分



大和郡山城と豊臣秀長
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